めんどり通信/2008年9月14日。主が復活された記念すべき日曜日で す! ハレルヤ!<クリスチャンだからというだけでは安心できない> |
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★新約聖書 マタイによる福音書 7:13
狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこか らはいって行く者が多いのです。 ★新約聖書 マタイによる福音書 7:21 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天にお られるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。 ●旧約聖書に登場してくる最初のイスラエル国の王サウルは、民の要求にしたがい主が選ば れた。(サムエル10:24) しかしサウルは主の御声に聞き従わず自分の思いを貫き、王位を退 かされた。 新約聖書でイスカリオテのユダはイエスに12使途として選ばれた。 しかし主を裏 切ったあと、自殺して滅んだ。( ヨハネ福17:12) サウルもイスカリオテのユダも今でいうならば 普通のクリスチャン以上の者である。 キリストはこの地上に来られ、我々の罪の身代わりとして十字架にかかってくださり、3日目に 復活され今もなお生きておられる。 そのキリストを信じるなら救われると聖書にある。 通常、 主イエス・キリストを受け入れたならクリスチャンと呼ばれる。 「キリストを信じている」と言え ば、みなクリスチャンと見なしている。 案外、内容を問わないことが多い。 マタイ7章を見ると、主から『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしか ら離れて行け。』 と言われているのはどうもクリスチャンのようである。 それも普通のクリス チャン以上の者たちである。 彼らは『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あ なたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありません か。(マタイ7:22)』 と言っている。 預言をしたり、悪霊を追い出したり、奇跡を行ったりできるのは普通のクリスチャンではない。 そういう賜物をいただき、信仰もしっかりして、主に選ばれ、主に仕えている普通以上のクリス チャンであると思われる。 しかし、主は『わたしはあなたがたを全然知らない。』と言われた。 またそれだけでなく『不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』と言われた。 主と関係の ない者となると、主のものではないばかりか、不法をなす主の敵と言われているのである。 このように一旦、主から選ばれ救われてクリスチャンになったとしても、またクリスチャンとして 目覚しい働きを成したとしても、最終的に主イエス・キリストと関係がなくなるということが十分 あり得るということである。 主と関係がなくなる、それはつまり永遠の命と関係がなくなるとい うことである。 永遠の命を得られない者が死後、行く先は天の御国ではない。 聖書は、人間 が死後行くべき所は2箇所、天の御国と地獄(永遠の火の池)であると書いている。(ルカ16章) 結局、自称クリスチャンであっても、人から見てクリスチャンと呼ばれても、それだけでは、”ク リスチャン”とは言えない。 神も認めてくださらない。 クリスチャンの原語の意味は、キリスト に従う者であるが、真にキリストのみこころを行い従っている者が本当のクリスチャンである。 だから”クリスチャン”という名前があっても、毎週教会へ行っても、聖書を読んでいても、キリ ストを信じていると言っても、主のみこころを行っているかどうか、みことばに従っているかどう かで裁かれるのである。 マタイ24章には終末の預言が書いてあるが、クリスチャンをあらわす太陽、月、星が暗くなるこ とが書いている。 それは、つまりクリスチャンが神の前の栄光を失う、光であるキリストを失うこ とを教えている。
また星が天から落ちることも書いているが、それはつまり本来天の星であって地に属するもの でないクリスチャンがこの世に属するものとなることを警告している。 普通のクリスチャン以上
にたまものも信仰もあった人たちでさえ、裁かれるなら、まして普通のクリスチャンはさらに警戒
すべきであろう。
落ちない実は刈り取られて天の御国へ携え挙げられるが、落ちた実は取り集められて、実を 結ばなかった枝と同じように焼かれてしまうのである。(ヨハネ福15:6) クリスチャンである、 ということだけでは天の御国へは入れない。 クリスチャンという名前にどっかり座り込まな いで、名前の意味のごとく、主のみこころを行い、主に従って歩んでいきたいものである。 そして、御霊の実を結ぶクリスチャンとなって、確実に永遠の命を獲得したいものである。 日々、祈りつつ聖書を読み、祈りに祈って歩んでいきたいものである。 ★旧約聖書 詩篇 62:12 主よ。恵みも、あなたのものです。あなたは、そのしわざに応じて、人に報いられます。 ★新約聖書 ガラテヤ人への手紙 5:22 ,23
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。 |
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