めんどり通信/2008年8月17日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!<まことに恐れるべきは神のことば、神ご自身である> |
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★旧約聖書 申命記 30:19
私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。 私は、いのちと死、祝福 とのろいを、あなたの前に置く。 あなたはいのちを選びなさい。 ★旧約聖書 詩篇 25:14 主はご自身を恐れる者と親しくされ、ご自身の契約を彼らにお知らせになる。 詩篇 33:18 見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。 ●創世記4章に兄カインが、弟アベルを殺すという人類史上初の「人殺し事件」が記されてい る。 彼らは人類の始祖アダムとエバの間に生まれた兄弟であった。 兄カインは、土を耕して 作物を収穫する農耕者となり、弟アベルは羊を飼う者となった。 収穫の時期になり、カイン は、地の作物から主へのささげ物を持って来た。 アベルは信仰によって(ヘブル11:4)、その 羊の初子の中から、最良のものを自分自身で持って来た。 主は信仰によってささげられたア ベルのささげ物に目を留められた。 するとカインは弟アベルを妬み、怒り、憎悪の念を持ち、ついには殺してしまった。 アベルは 主の喜ばれる信仰のために殺された。 人類史上初の「人殺し事件」は殉教であった。 その とき主は言われた。 「聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。 あなた はその土地にのろわれている。(創世 4:10,11)」 黙示録 6:10には殉教者たちが「聖なる、 真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのです
か。」 と叫んでいる。 その叫びに対して「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたが たと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。(黙 示録 6:11)」と言い渡されたと記されている。 神は殉教者の血の叫びに答えられる。 殉教者の血が流される地は呪われる。 つまり裁か れるというのが創世記から黙示録まで貫かれている神の一つの御心であると思われる。 聖 書は人が復讐することはよしとされていない。 それは神の分野であるからだ。 新約聖書の ローマ人への手紙12:19に「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさ い。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、 と主は言われる。』」 と記されている。 世界には多くのキリスト教国があり長い歴史の中でクリスチャンが殉教するということも多かっ たが、キリスト教国でないこの日本においても多くの殉教者を生んだ。 1597年2月5日に26聖 人が、日本で初めての殉教者となって以来、明治の初めまでの約300年間は、殉教の歴史と 言える。 1614(慶長18)年、家康は大阪攻めに先立って、全国に「キリシタン禁令」と、「宣教 師の国外追放令」が発布した。 これにより、幕末さらに明治政府までに引き継がれる長く 厳しい迫害の幕が切って落とされた。 日本国の隅々まで殉教の血が流されたのである。 著者も以前、津和野へ行った時、乙女峠というクリスチャンの殉教後地へ行ったことがある。 乙女峠は、明治維新後のキリシタン禁止令により改宗を迫られた長崎浦上のキリスト教徒た ち(153名)が、幽閉収容された場所である。 改宗を勧められたが、それに応じなかった信者 たちのうち36人が拷問につぐ拷問の末に殉教した。 その中に5歳の少女もりちゃんがいた。 役人の一人がかわいそうに思って、おいしいお菓子 を用意して、自分の部屋にもりちゃんを連れてきて、「もりちゃん、このお菓子食べたいか?」と 言うと、もりちゃんはうなずいた。 「それでは、キリストは嫌いだ、と言いなさい。言うのが嫌な らこの絵を踏みなさい。そうしたら、食べさせてあげるよ。そして、私の子供にしてあげるよ。」 と言った。 すると「おっかあ(お母さん)が、パライソ(天国)にいけば、そげんものよりもっとうまかもんある いうとったもん」と言って、見えるもの(お菓子)よりも、見えないもの(天国とそこにある祝福)を 見て(Uコリント4:18)、5歳の少女が耐え忍んだ。 その数週間後、飢えのためにもりちゃんは 殉教した。 その後この役人は、そのときの5歳の少女の態度と言葉に感動して(霊の)目が 開かれ、真の神がおられる、主イエス・キリストは生きておられる、永遠の命があることを知っ
て、牧師になったと言う。
5歳の子でも永遠があることを知ることができる。 5歳でも死の恐怖から解放されている。 それは、真の神を素直に受け入れたからだ。 偶像に惑わされず、心を奪われず、主イエス・ キリスト様を、真の神と単純に、しかし真に信じていたからだ。 主に純粋に寄りすがる者 に、神の恵みを与えて下さる。 そして、このような者たちが流された血のために復讐をなさ
る神でもあることを聖書は語っている。
実際、聖書に書いているとおり、日本各地で流された殉教者の血が「聖なる、真実な主よ。い つまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。(黙示録 6:10)」 と叫んでいた。 それに応えるかのように、第二次世界大戦での空襲被害は1942年4 月から45年8月の終戦まで全国200以上の市町村に及んだ。 悲惨なことではあるが、殉教者 の報いを神がされたといえよう。 迫害が起きる前、日本という国は福音に対して実を結ぶ良い地であった。 フランシスコザビエ ルの宣教開始(1549年)後、ほんの短い間にクリスチャン人口が7%となった。 宣教師団の一 人が「この国は30年もすればキリスト教国となる」と言っていた。 しかし1587年豊臣秀吉がキリ シタン禁令を出してから、多くの殉教者の血が流され、もう日本はいくら宣教しても福音が人々 の心に伝わっていかない、救われない、呪われた地となってしまった。 聖書のことばどおりに なった。 これらから見るに、聖書には神の方法、法則があると思われる。 このことは他の事柄において もそうである。 聖書の常識(=主の常識)とこの世の常識は違う。 聖書の基準とこの世の基 準は違う。 知っておかねばならないことは、神は聖書に書かれたことば通りになさるというこ とである。 神のことばは「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。 (イザヤ 40:8 )」「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭い(ヘブル 4:12 )」と 書かれている。 神は「恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ(出エジプト 33:19)」お方である。 まことに恐れるべきは神のことば、神ご自身である。 主権は神のものである。 そのことをわ きまえて主の御前にへりくだり、主に従う者に神は、神の恵みと祝福を与え、「聖霊を惜しみなく 私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださ(テトス 3:6)」るので ある。 今週もこの主イエス・キリストに頼って、祈りに祈って主に従っていきたいものである。 ★新約聖書 マタイによる福音書 10:28 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなど恐れてはなりません。 そんなものよ り、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできるお方を恐れなさい。
★新約聖書 ヘブル人への手紙 11:27 信仰によって、彼は、王の怒りを恐れないで、エジプトを立ち去りました。目に見えない方 を見るようにして、忍び通したからです。 |
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