めんどり通信/2008年7月20日。主が復活された記念すべき日曜日で す! ハレルヤ!<悪霊の影響は世の人だけでなくクリスチャンにもある> |
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★新約聖書 エペソ人への手紙 6:11,12 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさ い。 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配 者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。 ★新約聖書 第一コリント人への手紙 16:13 目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい。 ●聖書は霊(聖霊、悪霊)に関して書かれている。 イエスも「わたしがあなたがたに話したこと ばは、霊であり、またいのちです。(ヨハネ福6:63 )」と 言われた。 だから聖書は聖霊によらな ければ悟ることができない。 世の人はこの地上で目に見えない(悪)霊の影響を受けている。 これはクリスチャンも同様 である。 だから聖書は目を覚まして気をつけよと警告している。 福音書や使途行伝には悪 霊につかれた人のことが記されている。 例えば、悪霊につかれて墓場を住みかとして暴れて いた人のこと(ルカ 8章)、悪霊につかれた子どもが、何度も火の中や水の中に投げ込まれて 殺されそうになったこと(マルコ9章)。 旧約聖書でも主からの悪い霊がサウルに臨むとサウ ルが槍でダビデを壁に突き刺そうとしたこと(Tサムエル18、19章)など顕著に書かれている。 このようなことは、昨今、世の中で頻繁に起きている事件の犯人とよく似ている。 斧で親の首 を切ったり、ナイフで無差別に多くの人を殺したり、憎いから、うるさいからといとも簡単に平気 で人殺しをして後悔の念がなかったり・・・。 明らかに悪霊につかれている。 また、イエスと弟子たちがガリラヤ湖を舟で対岸に渡ろうとすると突風が吹いてきて彼らの行く 手を阻むということなど、たとえでもっても悪霊が人に影響を与えているということを語ってい る。 このような場面ではイエスが舟に乗り込まれるか、イエスが起きてくださり、風を叱る、つ まり悪霊を叱られると嵐も風も静まり、舟は目的地にすぐに着いた。 それらの箇所からわかることは、とにかく悪霊は力があり強いこと。 そして、人にとりつきやす く、出て行ったかと思うとすぐにどこか別のところへ入っていくという油断も隙もないものである こと。 悪霊が入ったらあっという間に深刻な問題になるということ。 人の生活に悪霊は影響 を与えているということ。 人を間違った道へと誘うこと・・・等などである。 悪霊の最終目的 は、人を滅ぼすことである。 やがて時が来ればサタン、悪霊の上に成就する地獄での完全な 滅びの道連れにしようとすることである。 さて、聖書は人が悪霊につかれないため、また影響を受けた場合どうすべきかも教えている。 旧約聖書、レビ記では神が動物や植物、食物など様々なものを、たとえとして用いて神のみこ ころを我々に教えておられる。 そこからすると悪霊が入りやすい動物はひづめの分かれてい ない動物や反芻しない豚である。 豚についてはゲラサ人の地で悪霊につかれていた人にイ エスが出て行くよう命じたとき、悪霊は豚の中に入ることを願ったということが福音書に書かれ ている。(マルコ 5章、ルカ 8章) 要は、この世と分離して、みことばをよく読まない人は惑わされる。 また祈りをちゃんとしてい ない人も惑わされる、悪霊の影響を受けるということである。 世と分離せよということは、たと えの形であれ、直接的なことばであれ、旧約、新約で何回も書かれていることである。 また、悪霊の対応についても書かれている。 この霊の対応は弟子がすべきであること。 訓 練が必要であること。 祈りが必要であることを聖書は語っている。 当時、イエスは実際、弟 子たちを様々なことで訓練された。 あるときは、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませ て、自分より先に向こう岸へ行かせようとされた。 そして弟子たちの舟は向かい風で進まな くなったり、突風で波が高く沈みそうになったり・・、ふたりずつで遣わされ霊を制する権威を用 いるよう実地訓練されたり・・・。 その度イエスは彼らの信仰を強めたり、彼らの前で風(悪霊 のたとえ)に命じて教えられたりして弟子たちを訓練された。 これからの時代、クリスチャンは悪霊につかれないだけでなく、弟子として歩もうとする者たち は霊を制するための訓練が必要であろう。 これからはサタン、悪霊がもっと大々的に働くとき になると思われる。 すでに働きが強まっていることは、世の中を見てもキリスト教会を見ても わかる。 霊的な対応がきちんとなされるということは、主の弟子として歩む者にとっては必須 というだけでなく、急がれることであるかもしれない。 また、この訓練は、聖書を見るならばイエスがしておられる。 今日、イエスは我々が肉眼で見 ることはできないが、確かに主はよみがえって生きておられる。 毎日、時間をかけて祈る者 にとっては、聖霊が触れてくださることによって、そのことを実感していることであろう。 肉眼で は見えないが、神の霊、聖霊が求める者を確実に導いてくださっておられる。 だから、この霊 的なものは、主にあって訓練されるものである。 主の弟子として真に歩もうとする者、主からの召しがきている者で絶えず祈って聖霊に触れら れている者に、キリストが直接訓練なさると言っても過言ではない。 霊のことは頭でわかるも のではなく、人からあれこれと教えられて理解できるものでもない。 キリストによってはっきり と悟らせていただくものであり、実感があるものである。 主が生きておられる方だからである。 我々は、主の召しがある者もない者も、主を真に信じているクリスチャンであるならば、日々目 を覚まして祈りを積んでいくべきである。 もし悪霊が思いの中に惑わしや悪い考えなどをいれ てきたならば、きちんと対処していくべきである。 対処するとは、とにかく祈ることである。 我々は惑わされることなく、確実に約束の地(天の御国、永遠のいのち)を獲得していきたいも のだ。 真に主に信頼し、悪霊の影響から守られ、またきちんと的を得た祈りをしていき、きよ められながら、今週も主に従っていきたいものである。 ★新約聖書 第一テモテの手紙 しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪 霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。 ★新約聖書 第一ヨハネの手紙 2:15 世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人 のうちに御父を愛する愛はありません。 |
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