めんどり聖書研究会

 
めんどり通信/2008年5月25日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!
<主を信じ、主のことばに聞き従い続けた者が神に選ばれた者である>



★旧約聖書   エレミヤ書  7:23
       ただ、次のことを彼らに命じて言った。『わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしは、
       あなたがたの神となり、あなたがたは、わたしの民となる。あなたがたをしあわせにする
       ために、わたしが命じるすべての道を歩め。』

★新約聖書   ヨハネによる福音書  8:47
       神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないの
       は、あなたがたが神から出た者でないからです。」

旧約聖書創世記に登場してくるアブラハムは、信仰の父、信仰の先祖と呼ばれる。 どの
ようにして信仰の父と呼ばれるようなったのかは創世記に記されている。 

まず主なる神は、年老いたアブラハムを召し出された。 「あなたは、あなたの生まれ故郷、あ
なたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。 そうすれば、わたしはあなたを大いなる
国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。(12:
1、2)」
と主はアブラハムに言われた。

このようにアブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、こ
れに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行
った。(ヘブル11:8) ただ、主の御言葉の約束
を信じて父の家を後にした。 ここにアブラハムの信仰をみることができる。

それからアブラハムがカナンの地にはいったとき、再び主からの言葉があった。 「あなたから
生まれる者が跡を継ぐ。(創15:4)」、「天を仰いで、星を数えることが出来るなら、数えてみるが
よい。(創15:5)」、「あなたの子孫はこのようになる。(創15:6)」
と。 このときアブラハムは高齢
(75歳過ぎ)であったばかりか、妻サラは子を産めない体であった。 それでふたりには、子
供がいなかった。(創11:30) しかしアブラムは主と主のことばを信じた。 主はそれを彼の
義と認められた。(創15:6) 

アブラハムが86歳のとき、妻サラの進言によりエジプト人の女奴隷、ハガルとの間に生まれた
イシュマエルは神の語られた約束の子ではなかった。 アブラハムに対する神の約束は、彼の
子孫が星の数のように数え切れないほど多くなるということ、つまりアブラハムとサラの間の子
が相続人になるということであったからだ。

その後、アブラハム100歳、サラ90歳のとき、イサクが誕生した。 しかし主はさらにアブラハム
に命じられた。 「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行き
なさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしに
ささげなさい。(創22:2)」
と。  

アブラハムは、主の言葉に聞き従い、主が言われるとおりイサクをささげようとした。 そのとき
主は一頭の雄羊をその場所に備えて、イサクの代わりのいけにえとされた。 そしてアブラハ
ムに「あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたし
の声に聞き従ったからである。(創22:18) 」
と仰せられた。 

主なる神を信じ、主なる神が命じておられることばに従い続けた結果、主の約束はより確かの
ものとなった。 そして、この約束がイサクに受け継がれ、イサクからヤコブに受け継がれ、そ
して今日の我々クリスチャンにも受け継がれるものとなった。 アブラハムの人生は、主を信
じ、主のことばに聞き従い続けた、神の喜ばれるものであった。

さて、このアブラハムの信仰の歩みは、現代の我々クリスチャンにとって大いに参考になり、ま
た模範となるものである。 アブラハムが主と主のことばの約束を信じたとき、主は、それを彼
の義と認めて下さったが、実にこのことは、イエス・キリストを信じて義とされることと同じであろ
う。(ローマ 3:22 ,26,4:24,10:4,ガラテヤ 2:16,ピリピ 3:9) 義とされることで罪が赦され、神の御
国における永遠の命が約束される。

 しかし、ただ、このことはそれで完成というわけではない。 神に義と認められることは、いわ
ばクリスチャンの歩みをスタートしたことと言える。 スタートからゴール(寿命が尽きるとき)ま
での地上の歩みが、聖霊に導かれた者は主の恵みと祝福に満たされ、信仰が成長し、信仰の
実(=御霊の実)をむすぶこととなる。 そのような者は信仰の実りとしての行い、従いが伴うで
あろう。

アブラハムの歩みを見るときに決して平坦なものではない。 イサクをささげるという試練が
あったり様々な試練、落ち着かない出来事が身にふりかかったりした。 しかし、その度、天の
御国に目を向け、主のことばを守り行い、ひたすら主に従って行った。 「招かれる者は多い
が、選ばれる者は少ない。(マタイ22:14)」
とイエスは言われたが、アブラハムはみことばを行
い、神に従っているから神に選ばれるといえる。

約束のことばが与えられ、主の道を守り通すなら、神がそのことばを成就してくださる。 クリス
チャン生活は、神の恵みと祝福があることは確かだが、ルンルンと軽い調子では進んでいけな
いようである。 神の示す道を選んだ者には、訓練、試練が与えられ、信仰が鍛えられる。 し
かし、どのようなときにも必ず聖霊が助け手となって導いてくださる。 もしルンルンとした道を
行きたいならば、神の示す道ではなく、自分の好きな道を選べばよい。 しかし、その道は神と
は関係のない道である。 すなわち永遠の命を得られない道である。 

いずれにしても我々に大事なことは、まずみことばを信じることである。 そして聖霊の助けと
導きを得て、みことばを守り行うことである。 そうすれば神の約束はことごとく我々のものとな
る。 そして、その神の確かな約束のゆえに、我々は決して失望することがなくなる。 聖霊の
助けと導きを得るために日々、時間をかけて祈っていきたいものである。 

★新約聖書  ガラテヤ人への手紙  3:29
       もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束
       による相続人なのです。

★新約聖書  コロサイ人への手紙  3:24
       あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています。あなた
       がたは主キリストに仕えているのです。


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