めんどり通信 / 2008年4月27日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ! |
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★新約聖書 エペソ人への手紙 6:11,12 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさ い。 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主、力、この暗やみの世界の支配 者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。 ●旧約聖書にイスラエル人が敵との多くの戦いをしている事が記されているが、それらのこと を通してクリスチャンの歩みには霊的戦いがあることを教えている。 また新約聖書でも悪霊 つきの人がイエスに悪霊を追い出してもらったり、主のひと言で嵐が静まったり、弟子たちが 主から霊を制する権威を受けて実際、悪霊を追い出したり、・・など霊に関する教えが多い。 聖書には、クリスチャンが右の頬を打たれたら左の頬を出して、いつもいつもどんなときにも心 も態度も荒げてはいけない、忍耐強く、おとなしくしていなさい、とは書かれていないようであ る。 忍耐も、おおらかな心も大切であるが、むしろ聖書は”戦い”について、クリスチャンは” 戦うべき!”ということを勧めている。 しかし、クリスチャンのこの戦いは血肉に対するもので はなく、空中にいる悪の霊との戦いであると書かれている。 聖書を読んでいくと、悪魔(サタン)、悪霊どもは神の聖霊とは違うと書かれている。 また悪霊 の存在が、人に悪影響を及ぼすことも書かれている。 そしてそれは決して未信者だけという のではなく、クリスチャンであっても霊の影響はあると語っている。 すなわちクリスチャンの基 本的な問題は悪霊の問題と言っても過言ではない。 聖書の解釈の中にも巧妙に、その影響 は見受けられる。 だいぶ以前、著者も2段階携挙説や中間祭司階級はいけない(=牧師など 立ててはいけない。皆、クリスチャンは兄弟姉妹なのだからという考え)など他にも多く、間違っ た教理を受け取っていた。 人を真理から逸らすためには、悪霊は巧妙に間違った確信をもも たらす。 キリストは、この世が悪魔の支配の下にあることを、いく度も明確に言われた。 キリストは悪 魔の支配を、神の国と真っ向から対立する「悪魔の国」として言及している。(マタイ12:25、ルカ 11:18、ヨハネ12:31他) 霊の世界には、あくまでも仕分けの上だが、神の聖霊以外に、数多 くの天使、悪魔、そしてまた数多くの悪霊(幽霊、死霊、怨霊、木の霊や水の霊などと呼ばれて いるたぐいも含まれる)が存在する。 悪い霊たちが活動すると、いろいろな怪奇現象も起き る。 エクソシストなどで知られているポルターガイスト現象や、狐つき、亡霊を見たり、変な声 が聞こえたりなども起きてくる。 聖書の中にも悪霊が語っている場面があるが、確かに(悪)霊は語ってくる。 また人に入る。 人より強い。 人より賢い。 霊には人格がある。 霊の目的は人を滅ぼしたり、つまずかせた りすることである。 人は寿命が尽きたとき、どんな人もみな、神の前に出て、さばきを受ける。 (ヘブル9:27) その後、パラダイスかハデス(地獄)へ行く。 ハデス行きに決まった者は、地 上で犯した、全ての罪、嘘、悪口、ねたみ、遊興等(ガラテヤ5:19〜21)に対しての罰を受け る。 こういう最終的なことだけでなく、この地上においても遅かれ、早かれ悪霊は人を滅びに 導く。 「嘘」←これはサタンの武器であり、サタンの性質をあらわす。 それに続く悪霊どもも同じであ る。(ヨハネ福8:44 ) こういう悪しき霊たちが人に影響を与え、人を悩まし、真理の道へ行くの を妨げる。 こういうことは、その人の持っている罪に関係することもあるし、そうでないときもあ る。 いずれにしても、クリスチャンでさえ悪霊の影響は受ける。 聖書によるならば、クリスチャンに対する悪霊 の攻撃は神が許しておられる。 クリスチャンが自分の考えや感情、悟りに頼らず、主に尋ね ていくことが重要、いや必須である。 悪魔というとき、それは様々な諸々の悪い霊たちを束ね ている親玉、かしらの霊である。 いわばトップである。 1990年あたりからピーター・ワグナーやジョン・ウィンバーなどが「霊の戦い」として、「地域を支 配する霊を縛れ」などという教えが広まった。 「霊の地図」などというものを作成させ、都市や 町を支配する霊に向かい、また神社や寺に向かい、「サタンよ出て行け。」と霊の追い出しをす るということが始まった。 確かにクリスチャンの歩みはある意味、霊の戦いをしながらというと ころはある。 悪霊を追い出しは聖書が命じていることでもある。 しかし、すべての霊が悪玉 ではない。 神の権威の下にある霊(み使い)もいる。(Uペテロ2:4〜11) また、悪霊も強いのも弱いのもいる。 主イエスは、弟子に霊を制する権威を与えられた。 し かし、この弟子というとき、自称、弟子であるとか、人が認める弟子ではない。 神が認めるキ リストの弟子である。 またそのようなクリスチャンは神からの訓練を受け、聖霊の御声に従っ ている。 クリスチャンは、そういう意味で分をわきまえるというへりくだりが大切である。 霊の 戦いは、ある意味、危険を伴うこともある。(使徒 19:13〜16) 我々にとって一番の危険なこと は、知らず知らずのうちにキリストから引き離されることである。 つまり永遠の命を失うことで ある。(マタイ 10:28) 「サタンよ出て行け。」「サタン」、聖霊(悪霊)の第三の波系の人々は、「主の御名によって」「イ エスの御名によって」とやっているが、キリストは援護されていない。 聖霊は働かれていない。 著者もかつては、知らなかったとは言え、ベニー・ヒンやカルロス・アナコンディアやクラウディ オ・フレーソンの集会に参加して危ない目にあった。 主のあわれみにより、そこから出してい ただいたが、身の程知らずに、また愚かにも「サタンよ出て行け!」とやっていたのである。 し かし、主が言われる悪霊の追い出しと、地域における霊の戦いとは異なることである。 また、 霊の追い出しについても、自分の分をわきまえ、聖霊が導いてくださったときに行うべきであ る。 現代は、黙示録の時代に入ったかのようである。 そうなると、みことばどおりならば、今、起 こっている悪霊の洪水は更に強く、激しくなっていくであろう。 それだけに、惑わしが多く、クリ スチャンはしっかり目を覚まして、大きな勢力を持つキリスト教会が何と言おうと、有名なクリス チャンの器が何と言おうと、また団体(多勢派)に迫られようと、真のクリスチャンは神のことば に聞き従うべきである。 そのため、ますます、日々、絶えず祈り求め、聖書を読んでいきたい ものである。 ★新約聖書 エペソ人への手紙 6:13 ~6:18 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つこと ができるように、神のすべての武具をとりなさい。 では、しっかりと立ちなさい。腰には真 理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢 を、みな消すことができます。 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神の ことばを受け取りなさい。 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈り なさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽 くし、また祈りなさい。 |
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