めんどり通信 / 2008年4月13日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ! |
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★新約聖書 ガラテヤ人への手紙 2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリスト が私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私の ためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。 ★新約聖書 ローマ 人への手紙 6:6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私た ちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。 ●主イエスが十字架につけられたとき、主の十字架を真ん中にして左右に二人の犯罪人も十 字架にかけられた。 このことは、イエスが我々の罪のために身代わりとなって死んでくださっ たという大事な真理だけでなく、実はすべての人の行く先が二つに分かれることをも聖書は 語っていると思われる。 二人の犯罪人のキリストに対する評価は正反対だった。 一人は「あなたはキリストではない か。自分と私たちを救え。(ルカ23:39)」と悪口を言い、キリストを拒絶した。 明らかに死後、 ハデス(地獄)で苦しむことになろう。 もうひとりは「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。 わ れわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いこ とは何もしなかったのだ。(ルカ23:40〜41)」と自分がどうしようもない罪人であることを認め、 主イエスをキリスト(救い主)として受け入れた。 その上、「「イエスさま。あなたの御国の位 にお着きになるときには、私を思い出してください。(ルカ23:42)」と主に嘆願した。 すなわち、これはこの犯罪人のへりくだった祈りである。 それに対して、主も「まことに、あな たに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。(ルカ 23:43)」 と言って くださった。 死後、天の御国で安息を得ることになる。 「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず(ローマ人3:23)」と書か れているように、すべての人は、犯罪人、罪人であると神は断定されている。 この二人の犯 罪人は、我々すべての人間のことであると言えよう。 ある意味、すべての人はこの時、キリス トとともに十字架にかけられたと言える。 Uコリント5:14に「・・・ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだので す。」と書かれている。 キリストはすべての人が罪を赦され罪の生き方から解放され、神の裁 きから救われるために死んでくださった。 「(1テモテ 2:4)神は、すべての人が救われて、真理 を知るようになるのを望んでおられ」るからである。 ところが、すべての人のためにあった十字架の恵みは、すべての人が受け取るわけではな い。 ここの犯罪人のように2つに分かれる。 キリストを信じて十字架の最大の恵み、神の裁 きから逃れる、地獄(滅び)から救われる人と、キリストを受け入れず、キリストとの関係を持た なかったために、罪の奴隷となった生き方をして自ら報いを受ける人の2種類ある。 結果、一 方はパラダイス(天の御国)行き決定、一方はハデス(地獄)行き決定となる。 キリストを真ん 中にして左右の者は正反対の方向へ向かうこととなる。 キリストが鍵である。 また、3本の十字架を見て、特に人々のあがないのための真ん中のキリストの十字架を目の 当たりに見ても、 キリストを受け入れるどころか、キリストを拒絶したひとりの犯罪人と同じよう にキリストをののしった群集や祭司長、律法学者、長老という指導者たちは、やはり自らの報 いを受けるであろう。(ヘブル10:3、ローマ 6:23、黙示録 22:12他) ハデス(地獄)行き決定組と なる。 彼らの共通点は、神に対しての恐れがない。 高ぶっていることである。 だからキリス トがわからないのである。 キリストと関係のない生き方、キリストを拒絶した生き方こそが罪の奴隷であると言っても過言 ではない。 罪の奴隷になっている者、言葉をかえれば、罪の処分をしてない者は、高ぶった 者、傲慢な者と言えよう。(箴言 21:4) 罪の奴隷から解放された生き方は、すべての人に神が 提示してくださっているが、それを選ぶかどうかはその人の責任である。 しかし、我々は厳粛に次のみことばを受け取っておく必要がある。 何しろ永遠がかかってい るのである。 「 なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であ れ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。 (Uコリント 5:10 )」「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(ヘブル 9:27)」 神の前にへりくだり、素直に我々の罪の責任を負ってくださった主イエス・キリストを信じ、神を 恐れる歩みをしていきたいものである。 日々、神の御前にへりくだり、聖霊の導きによって祈 り、主に頼って聖書を読んでまっすぐな道を進み、永遠の命を獲得したいものである。 ★旧約聖書 イザヤ書 66:2 ・・主の御告げ。・・わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにお ののく者だ。 ★旧約聖書 伝道者の書 12:13 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これ が人間にとってすべてである。 |
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