めんどり通信 / 2008年3月16日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ! |
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★新約聖書 ヨハネの黙示録 14:15 すると、もうひとりの御使いが聖所から出て来て、雲に乗っておられる方に向かって大声 で叫んだ。「かまを入れて刈り取ってください。地の穀物は実ったので、取り入れる時が 来ましたから。」 ★新約聖書 ヨハネによる福音書 マタイ 13:30 だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る 人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納 めなさい、と言いましょう。』」 ●マタイによる福音書13章やマルコ4章でイエスは種まきのたとえの話しを群集にされたことが 書かれている。 主はその後で、弟子たちに「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが 許されているが、彼ら(群集)には許されていません。(マタイ 13:11 ) 」と言われた。 また「たと えによらないで話されることはなかった。ただ、ご自分の弟子たちにだけは、すべてのことを解 き明かされた。(マルコ 4:34)」とも記されている。 奥義とは原語では隠されたことという意味合いがある。 聖書には隠された真理と隠されてい ない真理がある。 救い主イエス・キリストのことにおいても、「神の奥義であるキリスト(コロサ イ 2:2)」とあるように、隠された真理があると思われる。 クリスチャンの目標は「永遠の天の 御国に入ること」である。 クリスチャンと呼ばれる者は『イエス・キリストが私の罪のために十 字架で死なれたこと、葬られたこと、三日目によみがえられて今も生きておられることを心から 信じ、永遠のいのちを受け救われた。』 それは事実であるが、それだけで終わりというもので はない。 クリスチャンになるというのは、いわばゴール(天の御国)へ向かってのスタートを切ったという ことである。 パウロも「賞を受けられるように走りなさい。(Tコリント9:24)」「うしろのもを忘 れ、ひたむきに、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、ゴール (天の御国)を目ざして一心に走れ(ピリピ3:13、14)」と言っている。 「ゴール(天の御国)を目ざして一心に走」る期間は、実を結ぶための期間であるとも言えよう。 聖書では、実を結んでいない、つまり麦でたとえるなら葉や茎、殻、ぶどうの木でたとえるなら 枝や葉のクリスチャンは、火に投げ込まれて焼かれてしまうと書かれている。(マタイ 3:12、ル カ 3:17、 ヨハネ福15:6) そうなるとクリスチャンにとって実を結ぶことは大いに重要なことである。 実を結ぶために我々 がすべきことは、イエスが仰せられたこと。 すなわち、ぶどうの木であられるイエス・キリストに つながっていることである。(ヨハネ福15:5) つながっていれば、「神の奥義であるキリスト」を 本当の意味で知ることができ実を結ぶことができる。 ぶどうの木であるイエスにつながるということは、教会へ通っていればいい、所属していればい いとか、聖書を持っているからいいというのではない。 またイエスを信じているからそれだけで 十分、あとは何をしていてもいい、というのは、神から見られたらイエス・キリストを本当に信じ ているとはいえない。 「イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたの です。(Tヨハネ 5:1 ) 」とあり「神を愛するとは、神の命令を守ることです。(Tヨハネ 5:3 )」と あるからだ。 ぶどうの木であるイエスにつながるということは、まことの神、永遠のいのちであるイエス・キリ スト(Tヨハネ 5:20)を愛し、聖書のみことば、神のみこころを守り行うことである。 そのために は絶えず祈り、聖書を読むことが不可欠となる。 時間を作って祈ることにより聖霊に触れら れ、キリストを知ることができる。 時間を作って聖霊に導かれて聖書を読むことによって、神 のみこころを知ることができる。 また、そのようにしている者にキリストを体験させてくださる。 すなわち、キリストが生きておら れることを実感し、主のみこころを悟って、実を結んでいくのである。 今週も主に頼り、祈り求 めてキリストにつながっておきたいものである。 ★新約聖書 ガラテヤ人への手紙 5:22,23 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、自制です。この ようなものを禁ずる律法はありません。 ★新約聖書 ヨハネによる福音書 15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の 中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたが たは何もすることができないからです。 |
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