めんどり通信 / 2008年1月20日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ! |
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★新約聖書 ヨハネによる福音書 3:13 だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。 ★新約聖書 ヨハネによる福音書 14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通し てでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。 ●聖書の最後に「この書の預言のことばにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある 災害をその人に加え、この書の預言のことばを少しでも取り除く者があれば、この書に書いて あるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる(黙示録22章18,19節)」と 書かれている。 要は、神のみことばと違ったことばを受け入れては天の御国へ入れないとい うことである。 昔からイエス・キリストの救いを広めるために、様々な方法がなされてきた。 本なども多数発 行され、その数、種類は膨大なものとなっている。 何しろ今や全世界の人口のおよそ3分の1 の20億人がキリスト教徒と言われている。 日本のクリスチャンの数は全人口の1%程度という 残念な状況ではあるが、聖書によるならば、神の時が来れば、日本にクリスチャンが多くなる。 そんなに遠い先のことではないようだ。 さて、伝道のため、霊と信仰の成長のために書かれたキリスト教の本だからと言って、すべて が良いとはいえないようである。 聖書のことばから逸脱せず、聖霊に導かれて書かれた本 であればいいのだが、昨今、みことばと違ったことばを巧妙にみことばと見せかける、神のみこ ころと思わせる、そのような本が多くなったように思われる。 例えば、霊界のことを事細かに書かれている本が多くなった。 多くのクリスチャンに影響を与 えていると思われるスウェーデンボルグは、「自分は霊界へ行った。 主から啓示を受けた。 天国は、このようだった、地獄はこのようだった・・・・」などという多くの教えを含む本を出版して いる。 しかし、こういう類の内容は明らかにおかしい。 イエス・キリストは言われた。「だれも天に上った者はいません。天から下った者は人の子(キリ スト)だけです。(3:13)」と。 また、「・・この「上られた。」ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなく て何でしょう。 この下られた方自身が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く 上られた方なのです。・・(エペソ4:9,10) 」と聖書に書かれている。 イエスは我々の罪の身代わりとなられて十字架に掛かられたとき、「わが神、わが神。どうして わたしをお見捨てになったのですか。(マタイ 27:46、詩篇 22:1)」と大声で叫ばれた。 我々の 罪と絶望を担って誰よりも深い絶望を味わい、罪そのものとなられて、誰よりも低く地の底にま で下られた。 そして地の底から引き上げられ、墓を打ち破り、天に上られた。 これらのみこ とばからすると、霊界のことについて本当にご存知なのは、イエス・キリストだけである。 主は 「だれも天に上った者はいません。」と言われたのである。 クリスチャンはこのみことばを、し かと覚えておくべきであろう。 ★新約聖書 第二テモテへの手紙 4:4 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。 ★新約聖書 テトスへの手紙 1:14 ユダヤ人の空想話や、真理から離れた人々の戒めには心を寄せないようにさせなさい。 ●「霊界へ行った。天国は、ああだった。 地獄は、こうだった。」などと事細かに教えを含んで 主張する人々のことばには気をつけるべきである。 そういう夢などを見て、自分自身の信仰 がしっかりしたというだけであるならば、差し支えないだろうが、聖書のみことばと違ったことば として受け入れるときには、後に神の定めておられる道からはずれる危険性があるように思わ れる。 実際、悪魔の一つの戦略として、「聖書的には、無理な教理を神の民に受け入れさせたい」と いう時、 よく「幻」を持ち込むようであるといわれる。 しかし、逆に「幻」で支えられなければ支 持を得られない、持ちこたえられない教理などはそもそも怪しい教えであることを知るべきであ る。 聖書は、これらの「幻」を持ち込む御使いに関してこう言っている。 「しかし、私たちであ ろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ 伝えるなら、その者はのろわれるべきです。(ガラテヤ1:8)」 (エレミヤの部屋No.233 空想話 より) アダムとエバがエデンの園で、善悪を知る木を前にして語りかけてきた蛇のことば「あなたがた は決して死にません。・・・(創世 3:4,5)」 を受け入れて、永遠の命の木から遠ざけられてしまっ た。 神が言われたことばと違ったことばは、危ないのである。 語られることばの10分の9まで正しいことであっても、聖書のことばと違った10分の1によって、 永遠のいのちを失うということがあり得ると思われるからだ。 今の時は、その10分の1の違っ たことばの背後に悪霊あり、というくらいに用心しなければならない時代である。 厄介なことに今や、違ったことばの10分の1の上に覆いがかかっていて、以前よりわかりづらく なっている。 人類を殺すために四人の御使いはもう解き放されたのだろうか。(黙示録 9:14) 正しいみことばを「宣べ伝え」るとともに、正しくみことばを「受け取る」ことが大切である。 巧妙になってきた敵のワナを見破るためには、やはり霊で見破っていく必要がある。 そのた めには訓練が必要だ。 まずは、クリスチャンが一人ひとり、日々、聖霊に導かれて聖書を読 み、祈る時間を取っていくことが重要である。 それを行う者に、神は訓練を与えてくださり、 霊で見分けることができるように導いてくださる。 その上、神の守りと恵みを与えてくださるの である。 今週も、主に頼っていきたいものである。 ★新約聖書 第一ペテロの手紙 1:8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけ れども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。 ★新約聖書 第二コリント人への手紙 4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時 的であり、見えないものはいつまでも続くからです。 |
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