めんどり聖書研究会


  めんどり通信 / 2008年1月13日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!



★新約聖書  第二テモテの手紙  4:8
       今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者
      である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者
        には、だれにでも授けてくださるのです。

●昨今の世の中は、様々な分野で「成功者」と呼ばれる人々がいる。 昔から「成功者」はいた
が、その特徴は、昔から辞書に記されている通りである。 ちなみに大辞林では「(1)仕事・計画
などがうまくいくこと。目的を達成すること。(2)相当な地位や財産を得ること。(3)功を積むこと。
年功。 」とある。 競争社会で勝利してお金や地位、名声を得た人が成功者であるという考え
方は、今なお強い影響力をもっている。 本屋さんには「成功の秘訣」「成功の方法」「成功の方
程式」など「成功」に関する様々な本が溢れている。 また、そのような内容に一石を投じるよう
な「人生の成功とはそもそも何か」「自分らしく生き切ること」「後悔しない精一杯に生きること」と
いうような類いの本も多く出回っている。

一般的に世の成功者は、自分を信頼する自信家が多いと聞く。 自己信頼は度が過ぎると、高
慢になる。 高慢になると、人を見下げたり、何か自分が偉いものになったように錯覚したり、
人に対して優越感を持ったり・・そういう中で良心がマヒしやすくなる可能性もあるようだ。 ま
た、そのような中では神を認める、神を見出すことは困難なようである。 

★旧約聖書    伝道者の書  4:4
        私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士のねたみにすぎ
         ない。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。

●この世で、どんなに「仕事や計画がうまくいき、老後まで十分に安心できるほどの財産や地
位を得ようとも、ひとつの事を成し遂げて、名誉をあわせて得たとしても、そのような成功の動
機や原動力は、ねたみや嫉妬であると聖書には記されている。 また「勝ち組」と「負け組」を
意識した恐れである場合もあるかもしれない。 そして多くの人は案外、そういうことに気づい
ていないのか、もしくは目をつぶっているのか、結果だけを見ている場合が多いのではないか
と思われる。

聖書の登場人物で神が良しとされる人は、世で言われるような「成功者」はいない。 彼らの人
生の道は決して平坦ではなかった。 その中のパウロの場合、彼は裕福な家の出であり、ヘブ
ル語、ギリシャ語に通じていたことから、その時代の一流の学問を身に付けていたようだ。 特
にユダヤ教については人よりも秀でた存在であると自称し、実際当時の一流のラビ・ガマリエ
ルに師事していた。 

そんな彼が、何度も何度も困難にあい、自分のがんばりではどうすることもできないことを体験
した。 ただ「神に信頼すること」を学び取った。 そして、地位も学問も名誉も財産も何もかも
キリストを知ったことにより、それらはちりあくたと思うようになったと言っている。(ピリピ 3:8) 
何度も、四方八方から苦しめられることがあっても窮することがなく(Uコリント4:8,9)、 そし
、「今からは、義の栄冠が私のために用モされているだけです。(Uテモテ4:8 )」とまで言
えるようになった。 

★旧約聖書  箴言  3:5
   心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。

●こうしてみると世の成功者と聖書の中の成功者とは、はっきりとした違いがある。 世の成功
者は第一に「自分に信頼」を置いている。 聖書の中の成功者は「神様に信頼」を置いている。 
また、どちらも「七転び八起き」の気構えで前向きであると思うが、人の能力の限界をはるかに
超えるようになると 、世の成功者は挫折や大きな失敗をすることも多い。 しかし、聖書の中
の成功者は、もう立ち上がれないという状況になることはなかった。 途方に暮れてしまうよう
な試練があっても、行き詰ることはなかった。(Uコリント 4:8) 

★新約聖書  第一ペテロの手紙   2:11
       愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、た
       ましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。

★新約聖書  コロサイ人への手紙    3:2
       あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。

●また最も大きな違いは、人生の目標、人生の目的であろう。 世の成功者の目標、目的は、
「この地上」であり、聖書の中の成功者やこの地上で第一に神に信頼を置いている者たちの目
標、目的は、「天の御国」である。 

イエス・キリストを救い主として受け入れ神を信じ、キリストに従う者となったクリスチャンはこの
地上の成功を求めてはいない。 確かにこの地上でも成功者と呼ばれるようになり、クリスチャ
ンとしてでも成功者となれるに越したことはないが、聖書を見るなら、どうもそれは難しいようで
ある。 目的、目標が違うので致し方ないことであろう。

真のクリスチャンの目標、目的は、「天の御国に入ること」、すなわち「永遠のいのちを獲得す
ること」である。 クリスチャンはこの地上では聖書に記されている通り、旅人、寄留者である。 
この地上での様々なこと、小さな目標などは、天の御国へ入るまでの一里塚である。 

人生の目的を、クリスチャンにとって真の故郷である天の御国に帰る備えをすることに置いて
いるならば、様々な困難も試練も乗り越えることができることを聖書の中の成功者たちが示し
ている。 また、イエス・キリストは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを
通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ福  14:6) 」
と言わ
れた。 

このお方、イエス・キリストは、天の御国に帰る備えをする者に、道を教えてくださるだけではな
く、その道をたどっていのちの人生を生きることができるように導いてくださり、必要な力を与え
てくださる。 クリスチャンだからと言ってすべての者が天の御国へ帰れるわけではない。 天
の父なる神のみこころをおこなう者だけが帰れるとイエスは言われた。(マタイ 7:21) 

人には必ず人生の最後に死がやってくる。 その時に、本当の成功者となっておきたいもので
ある。 ある意味、人生の成功とは最期の一瞬にわかるもの、と言えるかもしれない。 
「あなたにとって、人生の成功とは何ですか?」と問われたなら、「天の御国に入ることです。」
と答えることができるような日々を過ごしたいものである。 そのため、日々、絶えず、主に頼っ
て聖書を読み、聖霊に導かれて祈っていきたいものである。

★新約聖書  第一テモテの手紙  6:12
   信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。

★新約聖書 ピリピ人への手紙  3:14
       キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心
        に走っているのです。



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