めんどり聖書研究会


  めんどり通信 / 2008年1月6日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!



★新約聖書   ヨハネによる福音書  3:3
       イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれな
      ければ、神の国を見ることはできません。」

★新約聖書 ローマ人への手紙      6:23
       罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある
       永遠のいのちです。

●神は人を神のかたちに似せて創造された。(創世 1:27) 最初、人間は「死」とは関係のない
存在であった。 人は自由意志を与えられ、神に呼びかけられ、神に応える責任を負う人格と
しての存在である。 しかし、取って食べてはならないと命じられた善悪を知る木の実を取って
食べるという、神への不服従を選んだ結果、罪が入り、死が全人類に広がった。 

人類に「死」、つまり”罪のために永遠の地獄に向う”という一大事が起きた。 人は「死」という
とき、肉体が寿命や病気によって機能停止することと考える節がある。 しかし、「死」とは様々
な面があるが、聖書で強調する「死」とは霊魂が神から分離する霊的な死(エペソ 2:5 )、そし
て、肉体の死後、霊魂が永遠に神から分離する永遠の死(黙示録 20:6、14)のことである。  
決して、人は死んで無になるのでも、あの歌のように千の風になって見守るというのでもない。
「死んだら無」「何かになって見守る」、その根拠となるものはなく、それらは、ただの推測や願
望に過ぎない。

多くの宗教は天国の概念や様々な独自の教えなどで、死後の世界における救済を説いてき
た。 死後については、想像や推測、人が修行によって悟ったといわれる教え、体験が基盤と
なっている。 また宗教を利用して、金儲けなどを企む人間が多いことも事実である。 

しかし、キリスト教は、万物の支配者、神のことばである聖書を基盤としている。(Uペテロ1:2
1)(Uテモテ3:16) 
「聖書」こそ神が人類に与えられた唯一の啓示の書であると申命記4:2
黙示録22:18,19などに記されている。 その中には当然、死後についてのことも記されてい
る。 聖書の主題は、ひとことで言えば、「イエス・キリスト」である。 なぜなら、永遠の死(永遠
の滅び、火の池)へ向かっている罪人を救済すべき方法、「最後の審判」から救われる道、そ
れが「イエス・キリスト」であるからだ。 

すべての人は、神の前に罪人である。(ローマ 3:23、 ローマ 5:12他) 罪には必ず刑罰が伴う
ものであるという意識は多くの人の認めるところであろう。 聖書もはっきり書いている。 人は
自ら犯した罪のために死後に裁かれてその報いを受けると。 罪というとき、警察に捕まるよう
な罪だけでなく、思いの中の罪も含めていう。 人は外側を見るが、神は人の心の中を見てお
られる。 

★新約聖書   ヨハネによる福音書  14:6
       イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通し
       てでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

●神の存在や地獄の存在やキリスト以外によってしか救いはない(使徒 4:12)などと語ると
人々は、脅かしだ、ばかげている、恐怖心を与えて強制していると非難する。 しかし、聖書に
記されていることは、今まで成就してきたし、これからも成就するであろう。 それは全能の神
のことばであり、神が権威を持っておられ、神が遂行されるからである。 

神は、人に恐怖心を与えるためにさばきをされるのでもなく、地獄を作ったのでもない。 神
は、むしろ人を救うために、罪を赦すために(コロサイ 2:13)、人の罪を忘れるために(ヘブル1
0:17)、
ご自身のひとり子イエス・キリストをこの地上に遣わしてくださった。 キリストは我々の
罪の身代わりとなるために、十字架で死なれるために、この地上に来てくださったのである。 
ここに神の人に対する愛がある。(Tヨハネ 4:9) 

神の御前で、人は生まれながらのそのままの状態であるならば、神の怒りのさばきにあうこと
を聖書は語っている。 神は愛であられるとともに義なる神でもあられる。 キリストを弁護人と
して立つ者でなければ、神の怒りの裁きを過ぎ越すことはできないのである。 

人は、母親から生まれるだけでなく、聖霊によって生まれる必要がある。 新しく生まれた者、
新生した者にキリストが弁護人として立ってくださる。 この地上生活においても、弁護人である
キリストの助けなしでは、人は天の御国に向かって続くまっすぐな道を歩むことができない。 
地上には、あまりにも多くの誘惑があり、惑わしがある。 それらの背後には、悪の霊が存在す
る。 だから道を逸らさせる方向へ行かせる力に、人は太刀打ちできない。 キリストでなけれ
ば無理なのである。 

聖霊によって新生した者は、冒頭のみことば通り、神の国に入る。 神の国に入った者はこの
地上において神の守りの下にあり、神の恵みや祝福に預かる。 また、死の備え、つまり永遠
の備えをすることとなる。 

自分がどこで永遠を過ごすかは、この地上にある間に自分で選ばなければならない。 好む好
まざるに関わらず、人は最初の死(肉体の死)を経験する時、神との面会がある。 それまでに
選んでおかなければならない。 イエス・キリストを自分の個人的な救い主として信じ受け入れ
た者は、だれでも罪が赦され、さばきを逃れることができる。 

今日、キリストの福音は世界中に伝えられており、多くの人々がクリスチャンとなっている。 し
かし、自分はキリストを自分の主、また救い主として知っている、クリスチャンであると言う人
も、今一度、吟味してみるとよいかもしれない。 「あなたがたは、信仰に立っているかどうか、
自分自身をためし、また吟味しなさい。(Uコリント 13:5 )」「わたしに向かって、『主よ、主よ。』
と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者
がはいるのです。(マタイ 7:21 )」
とイエスが言われるからだ。 

悪魔とその使たちとのために作られた地獄( マタイ 25:41)の容量は、どうも広がっているようで
ある。  「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、
そこからはいって行く者が多いのです。(マタイ 7:13)」
と主は言われた。  今年2008年は、形
だけクリスチャンと名のる者もまだ主イエス・キリストを受け入れていない者も、罪を悔い改めて、
キリストを救い主と真に信じ新生して、聖霊によって生きることを始めようではないか。 すでに、
聖霊によって生きている者は、ますます主に従い、神のみこころを行って神に会う備えを万全な
るものにしていきたいものである。(アモス書4:12) 

★新約聖書    ヘブル人への手紙   9:27
       人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている

★新約聖書   ヨハネによる福音書    3:36
       御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いフちを見ること
       がなく、神の怒りがその上にとどまる。


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