めんどり聖書研究会/めんどり通信


  めんどり通信 / 2007年12月30日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!



★新約聖書   マタイによる福音書   4:4
       イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つ
       のことばによる。』と書いてある。」

★旧約聖書  詩篇  33:9
    まことに、主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは堅く立つ。

★旧約聖書   詩篇   105:8
       主は、ご自分の契約をとこしえに覚えておられる。お命じになったみことばは千代にも及
      ぶ。

●ルカによる福音書にバプテスマのヨハネの誕生について記されている。 祭司のザカリヤと
その妻エリサベツには、長年神に祈っていたが子どもがいなかった。 ある日、神殿の中での
奉仕中に、御使いがザカリヤに現われ、 彼らに子供が与えられると告げた。 しかし、ザカリ
ヤは、自分も妻も人生の晩年を迎えていた年寄りであるという現状を見て、御使いのことばを
疑った。 不信である。 それで彼は、約束の子が生まれるまで、口がきけなくなった。(ルカ1:5-
23)

当時、男児が生まれると八日目に割礼を施し、命名して神の祝福を受けるのがイスラエルの習
慣だった。 そこで親族の者たちは父の名にちなんでザカリヤという名にしようとしたが、エリサ
ベツは答えて、「否、ヨハネにすべき」と言った。 口がきけなくなっていたザカリヤもまた、書き
板に「彼の名はヨハネ。」と書いたので、人々は不思議に思った。 その時、たちどころにザカリ
ヤの口が開け、舌は解け、神をほめたたえた。 ザカリヤは御使いによって指定されたとおり
「ヨハネ」と命名したこのことにより、信仰を回復していただいたと言えよう。 神は神の
口から出ることばによって、天を造られ、御口のいぶきによって天の万象も造られた。(詩篇
 33:6) 
だから本来、人間の口の真の使用は、神を讃美することである。 
同じ舌、口から神のことばを否定する言葉を言うべきではない。

ザカリヤの場合、口がきけなくなったのは、むしろ神のあわれみとも言える。 そのことにより、
彼は自分の不信を悔い改め、口の正しい使用の仕方を知り、彼は二度と不信仰なことばを言
わなかったであろうと思われる。 神のことばを信頼するのに現状を見てはならないことを、し
かと学んだであろう。

さて、バプテスマのヨハネの誕生について神は、神のことばを(御使いを通して)ザカリヤに語ら
れた。 確かに神は語られる。 ヨハネ1:1に「ことば(ギリシャ語でロゴス)は神であった」とあ
る。 聖書は神のことば、ロゴスである。 だから聖書に書かれていることは成就してきたし、今
後も成就していく。 実現していく。神のことばはクリスチャンが日々受け入れて成長するべき
必要なことばであるが、神のことばは聖書の中では食べ物、パンなどでたとえられている。 

またイエスは「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つ のことば(ギリシヤ
語で、レーマ)による。」と言われた。 一人ひとり歩みの中で、主はその人に必要なことばを語
られる。 神の個人的な語りかけ(レーマ)がある。 例外はあるが、一般的に、神の語りかけ
は人の思索と合い入れないものである。 その人を神のために仕えさせようとする器にするた
めの神の経綸(ご計画)があるならば、人の不信には神の経綸を妨げる力はない。 ザカリヤ
を口がきッない状態にしたまま、神の言葉は成就した。 そして神の言葉が成就したことによっ
て、ザカリヤの口は開かれた。 神の経綸の中に入ることは、それほど深い神の愛と恵みを受
けることになるのである。 

神は最善のものを私たちに与え、主のみこころを行なわせ、また、天に宝を積ませようとしてお
られるのである。 主が語られたら大丈夫である。 そして、そのとき主のことばを受け取った
ならば、もう勝利である。 主の語ったことばは、神の時に、必ず成就する。 神のことばを与え
られた者は、それに信仰をもって聞き従い、祈りの歩みを行うのである。 神のことばが事をす
べて成し遂げる。 我々は、ただ、主と主のことばに信頼して神の時に、神様が成就してくれる
まで、しつこく祈り求めるたらよいのである。 

★『御霊の与える剣である、神のことば(レーマ)を受け取りなさい。』(エペ6:17)  ★『信仰は聞
くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことば(レーマ)によるのです。』(ロマ10:17)

我々は、主に祈って、主のことばを聞くことが大切である。 神は本当に主に従っていこうとす
る者、神に仕えようとする者に語ってくださる。 神のことばを与えてくださる。 日々、祈ってき
ちんと正しく聞くことができるようにしていただきたいものである。 真に人を生かすのは、この
神の語られることばであると言っても過言ではないからだ。 主に人の思いこみや願望ではな
く、本当に神のことばを受け取ることができるまで、祈り求めていきたいものである。

来年、一人ひとりが真にキリストを信じて、神のことばをいただき、「神のことばが私の上に実
現した」と証しできるようになりたいものである。

★旧約聖書  箴言 19:21
    人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。

★新約聖書   ルカによる福音書     1:20
        ・・・・・私のことばは、その時が来れば実現します。


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