めんどり通信 / 2007年9月23日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ! |
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★新約聖書 ヤコブの手紙 4:14 あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどの ようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現われて、それから消えてしまう霧にすぎ ません。 ★新約聖書 第一テモテの手紙 2:4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。 ●最近、24歳の男性ががんで亡くなったという話を聞いた。 平成17年の日本人の平均寿命 が、男性78,56歳、女性85,52歳という中、24歳は早いと思った。 ある営業の方が言っておられ た。 「本来、年齢順に死んでいった方が、その家庭の中はスムーズにいく。 子が親より先に 死んだり、舅、姑より息子や嫁が先に亡くなると、残された者たちは大変。 しかし、今は交通 事故やがんなどが多くなったから、順番が狂うことが昔より多いみたいだ。」と。 この営業マンのことばには一理あると思った。 聖書の中にもよく系図が載せられている。 い ずれにしても、人はいつ死ぬのか、どのように死ぬのかは誰にもわかっていないことである。 また、死ぬ順番も我々人から見て、決まっているとはいえないものである。 ただ、わかっていることは、今生きている人間が1度は必ず経験すること、それは、この世に生 まれることと死ぬことである。 人は誰でも、必ず親から生まれてこの世で生きて、そして必ず いつか死ぬ。 この事はごく当たり前のこととして知る、認めるというより、必ずそのようになる。 ただ、このことの上に本当はもう一つ、今生きている人間が1度は必ず経験することが聖書に 記されている。 それは、「死後のさばき」である。 ★「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(ヘブル 9:27)」 ★「私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさば かれる日に、行なわれるのです(ローマ 2:16)」 ★「なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その 肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。(Uコリント 5:10 )」 ★「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その 現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。(Uテモテ 4:1 )」 ●ルカによる福音書 23章にイエスが犯罪人とともに十字架につけられた場面が記されてい る。 このとき、犯罪人のひとりはイエスに悪口を言ったが、もうひとりのほうは、おまえは神を も恐れないのか、と彼をたしなめた。 そして、イエスに、「イエスさま。あなたの御国の位にお 着きになるときには、私を思い出してください。」と言ったとある。 つまり、心から主イエス・キ リストを信じたのだ。 主は言われた。 「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたし とともにパラダイスにいます。」と。 地獄へ行くか天国へ行くかという瀬戸際のところで神と和 解できたのだ。 このときイエスは、主を信じた犯罪人に言われた。 「 なたはきょう、わたし とともにパラダイスにいます。」と。 また、ルカによる福音書16章に金持ちと貧乏人ラザロのことが記されている。 地上で贅沢三 昧していた金持ち(神を信じたという生き方をしていなかった)が、死後すぐにハデス(地獄)へ 行き炎の中で苦しんでいることが書かれている。 この金持ちは、一刻も早く地獄から救い出し て欲しいと願うが、当然のことながら天国と地獄では行き来などできない。 せめて、地上に生 きている兄弟(家族や親族、友人など)が地獄に来ないように願っていることが書かれている が、これは、いわば地獄へ行った死者の願いと言えよう。 聖書によるならば、葬儀のときは、すでに死者は、この地上にはいない。 天の御国(天国)か 永遠の火の池(地獄)かいずれかへ行っていることになる。 この金持ちは、死後に地獄の苦 しみを経験して初めて真理を悟らされた。 しかし、地獄に来てからでは、もうすでに時遅しで ある。 人は死んだ後すぐに、天国か地獄のいずれかへ行く。 死後に行き先を変えることは できない。 救われるチャンスは、死後にはない。 この地上で行き先が決まるのである。 だ から聖書は、神と和解をせよ、神に救われよ、主イエス・キリストを信じよ、と迫っているのであ る。 そして、そんなことを言うのはおどかしではないか、そう決めつけるのはおかしい、いやな ことを言うな、・・・などと言われても、多くの真のクリスチャンたちは語ってきたし今後も語って いくのである。 このことは厳粛なことなのである。 ★旧約聖書(口語訳) 出エジプト記 20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。 ●それでは、主イエス・キリストのこと、福音を聞かずに死んだ者はどうなるのか、と言う人もい るだろう。 救われる前、さんざん先祖供養をしてきた著者も当時、そのことが気がかりだっ た。 しかし、上記の御ことばを読んだとき思った。 「先祖のことは神におまかせするのが一 番良い。自分が神を愛し、聖書の御ことばをキリストに頼って行っていけば、「恵みを施して、千 代に至る」と言われる神が、先祖に対してみこころを行って下さるであろう。 いずれにしても それが一番の先祖供養だ。」と。 そう思ったとたん、先祖供養をしなければ、という肩の重荷 がすっと下りた体験をした。 そして、遺族となった人たちも含め、今生きている人たちに イエスの福音を伝えるべきだと思 った。 実際、この問題は、究極的には、神だけが答えることのできることである。 我々人が、 自分たちの基準で四角四面に考えたり想像して、間違ってしまうよりは、聖書に基づいて確か に知ることができる事柄をしっかりと握り、啓示されていない事柄は神にゆだねる、おまかせす る、ことが最善と思われる。 神のよしとされる時が来たならば、はっきりと教えてくださるであろう。 我々は、イエスの福音 を聞く機会がなくてこの世の生涯を終えていく人々に関して、神は公平で、正しい審判をしてく ださる方だから信頼してゆだねていく、おまかせしていくことが神が望まれていることであると 思う。 とにかく、はっきりしていることは、人は、天国へ行く人も地獄へ行く人も、死後すぐに行くという ことであり、死後の運命は変えられない、変更はないということである。 だから、神と和解する ことは、永遠の行き先がかかった重要事であり、厳粛なことである。 また、せっかく主イエス・ キリストを信じてクリスチャンになった者も罪に惑わされることがないようにしなければならな い。 そのためにも日々主イエス・キリストに頼って、祈りつつ神の御ことばを行っていくことが 大切である。 『主よ、主よ。』と呼びながら、主の言うことを行なわない者は神を無視して生き た金持ちと同じである。(マタイ 7:21 ) 今週も、天の御国に確実にはいれるよう、絶えず祈り、 御ことばをキリストにあって行い、主に従っていきたいものである。 ★新約聖書 ヘブル人への手紙 3:13 「きょう。」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくな にならないようにしなさい。 |
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