めんどり通信 / 2007年8月26日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ! |
|
★新約聖書 第一テモテの手紙 6:10(口語訳) 金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信 仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。 ★新約聖書 ルカによる福音書 12:31 何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに 加えて与えられます。 ●ルカによる福音書12章に「愚かな金持ち」のたとえが書かれている。 ある金持ちの畑が 豊作で、今ある倉では狭いので、壊してもっと大きい倉を建てることにした。 自分の財産を見 て、これから先、安泰だと金持ちは、「さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」と自分に言 い聞かせた。 しかし、神のことばは「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうした ら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。(ルカ 12:20)」 であった。 確か に主が言われたおことば「金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっと やさしい。」の通りお金持ち、財産もちの者が天の御国へ入るのは難しいのかもしれない。 お金や財産があると、どうしても主に頼るというより、お金や財産に無意識に頼ってしまうという ことがあり得るであろう。 将来を見据えて財産を蓄えるということが問題とは思われないが、 蓄えさえあれば、大丈夫だという、そういう価値観、自分の教えを頑として持つということが問題 と思われる。 自分の価値観、自分の考え、自分の教えは、神の価値観を締め出してしまい、ま た、将来のため、老後のため、・・・のためという理由で財産を蓄えたり、財産、お金を多く持つ 者たちは、ともすれば思いの度を超して、際限のない欲へと駆り立てられる可能性が強い。 必ずもうかるから、元本が短期間で大きく増えるから、・・とか、いつの間にやら欲に引かれて、 だまされたという事件も巷(ちまた)では多い。 そして、イエスはこのたとえの前にも「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、い くら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。(ルカ 12:15 )」 と言わ れた。 欲の皮を突っ張らせ「お金のこと」「生活のこと」ばかり考えて貪欲になっていると惑わ しに入り、神のことばを聞いても心に届かなくなってしまい、”気がついたら火の池だった”など ということは、もはや聖書から見ると冗談話とは言えない。 ★新約聖書 ルカによる福音書 12:31 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこの(愚かな金持ちの)とおりです。」 ●さて、この「愚かな金持ち」のたとえは第一義的には「お金に貪欲になるな」ということである が、第二義的にはクリスチャンのたまもの指向に対して「貪欲になるな」と言われているように 思える。 クリスチャンにとって、金持ち=たまものである。 絶えず、聖書の御言葉と照らし合わせて、お金を求める、高い地位や名誉がほしい、出世した いなどの貪欲には気をつけているはずのクリスチャンでもうっかりと乗せられてしまう貪欲があ る。 それは、奇跡やしるしや不思議などを行う霊のたまものを受けること、信仰の勇者とし て、あがめられることである。 しかし主は、「いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあ るのではない。(ルカ 12:15 )」と言われる。 たまものに豊かに富み、いやしをなし奇跡をあらわし預言もすばらしいものであったとしても、 それは、 必ずしもその人にいのちを与える、つまり永遠の命を与えるとは限らないことを主 は語っておられる。 我々クリスチャンは、主イエス・キリストを信じていれば、教会へ行っていれば皆、永遠の命を 受けているものと思っている者がほとんどであろう。 だから一般信者とは違い、主のため教会 のため働くクリスチャンたちは、もう一段階上のレベルに達したいとたまものを求めることが多 いようである。 しかし、主イエスは弟子と群集を区分され、また「努力して狭い門から入れ(ルカ 13:24)、滅び に至る門は大きく、その道は広く、そこからはいって行く者が多い(マタイ 7:13)、わたし(イエ ス・キリスト)に向かって、『主よ、主よ。』と言う者、主の名によって預言をし、悪霊を追い出し、 奇蹟をたくさん行なった者がみな天の御国にはいるのではない。(マタイ7:21,22)」と言われ た。 すなわち、永遠の命から見放される人々のことが書かれているのである。 「愚かな金持ち」を第二義的意味合いで見ると、たまものを持ち、奇跡やしるしや不思議、いや しを行い、信者が多く集まってきて有名人となり、今までの会堂を壊し、大きな会堂を建てるこ とになった。 献金は増え、たまものに満ちた牧師との評判がキリスト教会に広がり、万々歳と いうことである。 メッセージはうまく語ることができ、聖霊の働きはあり教会は安泰だと思い、 自他共に認める豊かな教会、金持ち教会だと思っているときに、「愚か者」と神の思わぬことば である。 いずれにしても、度を超した欲(もっともっと欲しい)、貪欲は神のみことばをはじき飛ばし、神 の愛を撥(は)ね返してしまい、神の前に豊かになることは難しい。 しかし、神の前に豊かにさ れるならば、神の愛を信じて、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝する豊かな人生を 生きることができる。 そして、永遠の命に至る狭い道を聖霊の導きによって進むことができ る。 我々人は、寿命がくれば、ものは何も持たず、ただ地上で生きたあかし(行いや言葉など)だけ をもって世を去り、神の前に立つ。 このときに永遠の命に入れるよう、今から、何はともあれ、 神の国、神のみことば、神のみこころを求めていきたいものである。 日々、心を私たちのため に命を捨ててくださった主イエス・キリストに向けて生きていくならば、聖霊は確実に天の御国 へと導きいれてくださるであろう。 ★旧約聖書 ヨブ 記 1:21 そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与 え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」 ★旧約聖書 箴言 10:3 主は正しい人を飢えさせず、悪しき者の欲望をくじかれる。 |
|