めんどり通信 / 2007年8月12日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ! |
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★新約聖書 第二コリント人への手紙 6:17 ,18 それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れ ないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、 わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言 われる。」 ★新約聖書 第二コリント人への手紙 7:1 愛する者たち。私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の 汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。 ●イエスは福音書の中で種まきのようなたとえ話を幾つか話されている。 イエスは”たとえに よらないで話されることはなかった(マルコ4:33,34)”と言われた。 イエスが弟子たちと話した ことばも、聖書の他のことばも神がたとえにより多くのことを語っておられるので、我々は注意 深く聖書を読み、聖霊によって悟させていただくことが大切で・る。 さて、旧約聖書のレビ記11章では動物などをたとえとして清いものと汚れたものに関する規定 などが書かれているが、それらによって主イエス・キリストを信じた者たちが、この地上でどう生 きていくべきかなどを教えている。 動物の中でひづめが分かれ、ひづめが完全に割れているもの、また、反芻(はんすう:一度飲 み下した食物を口の中に戻し、かみなおして再び飲み込むこと。つまり、繰り返し考え、よく味 わうこと)するものは食べてもよい清いものとされた。 しかし、反芻(はんすう)するものでも、 ひづめが分かれていないのは汚れたものであり、反対にひづめが分かれていても反芻(はん すう)しないものは、やはり汚れたものとされた。 要は,みことばを繰り返し々読む人は清いということである。 なぜなら、聖書は神のことばで あるゆえに、祈りをもってある程度の数を読んでくると思考パターンが聖書のみことばになっ てくる。 思いが変えられていく。 清くなっていく。 これは明らかに聖霊の働きによる。 神は反芻(はんすう)するクリスチャンになりなさい、そして反芻するクリスチャンと交わりなさ いと我々に語っておられる。 またひづめが分かれている、つまり、この世から分離されてい る人は清いといわれる。 汚れから出るためには、この世と分離されていなければならない。 この世の君(支配者)はサ タン(悪魔)であり(ヨハネ福 14:30)、この世は罪の誘惑がありつまずきがあり様々な罪と悪と が蔓延(まんえん)している。 だから神は、そこから出てきなさい、と言われる。 もちろん、出てくると言ってもこの世で生活している以上、実際この地上生活を終わらせなさい というのではない。 心がこの世のものに安易に動かされないように、引っ張られないようにし なさいということである。 同じくレビ記11章で羽があって群生し四つ足で歩き回るもののうちで、その足のほかにはね足 を持ち、それで地上を跳びはねるものは清いと記されている。 これはクリスチャンは必要に応 じて(最小限)この世につくことが必要の場合があるということである。 しかし、地(この世)に べったり足をつけずに、羽で飛んで通常は世から分離せよ、汚れから分離せよと神は語ってお られる。 新約聖書に 「世の富を用いる者は用いすぎないようにしなさい。(Tコリント 7:31)」 とある。 ★新約聖書 使途行伝 22:16 さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自 分の罪を洗い流しなさい。』 ●今は悪い時代である。(エペソ 5:16) 今までの時代以上に世が強い。 世が強いとは一言 でいえば、世に蔓延(まんえん)している罪、汚れが強いということであろう。 この世で旅人で あるクリスチャンは、どうしてもこの世の汚れがついてしまう。 今は20年、30年前に比べて少 し地に足がついただけでもその汚れ方がひどくなった。 それだけ世が悪くなってきたのと悪魔 がほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っている( 1ペテロ 5:8 )目つきも獲物を狙う執念(しゅうねん)、しつこさが強大しているといえる。 人は日々、知らず知らずのうちに何らかの罪を犯している可能性がある。 主に従っている 人、従おうと祈っている人であるならば、罪を犯してしまったときはその人はすぐにわかる。 聖 霊が教えてくださるからである。 聖霊の働きによって罪を知った人は、聖書のみことば通り、 神のご慈愛(じあい)によって悔い改めの祈りへと導かれている。(ローマ 2:4) そうして聖霊の 水に触れてきよめられていく。 決してかたくなになってはいけない。 これからの時代は、人が 神をあがめないから、また多くのクリスチャンが神に対して、かたくなで不従順になるから、災 いがくるとの警告が聖書に記されている。 厳粛(げんしゅく)に受け止めたいものである。 だから絶えず祈っていく必要がある。 日々、祈っていき祈る習慣をつけていく必要がある。 そして、世にうつつをぬかさず(世に心を奪われず)、 ますます主であり救い主であるイエス・ キリストを知ることによって世の汚れからのがれ(Uペテロ 2:20)、永遠の命への道をまっすぐ に進んでいきたいものである。 全能の主から息子よ、娘よといわれたいものである。 ★新約聖書 第一テモテの手紙 6:7,8 私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。 衣食があれば、それで満足すべきです。 ★新約聖書 ヤコブ の手紙 4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。 手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。 |
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