めんどり通信/2007年5月20日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書  マルコによる福音書   1:15
       「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」

★新約聖書   使途行伝  17:31
       なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を
       決めておられるからです。・・・」

★新約聖書  第二コリント人への手紙   5:10
       なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自そ
      の肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。 

 
●昨今、異常な犯罪が日常的に起こり、それがあまりにも多い。 各テレビ局での報道合戦
で、視聴者はますます良心がマヒしそうな恐ろしい世の中になった。 相変わらず陰湿(いんし
つ)ないじめは減らず、幼児虐待(ぎゃくたい)、わいせつ目的の女児誘拐や監禁(かんき
ん)・・・など等が多発する世の中。 痛ましい現代社会である。

犯行者は、異常な犯行ゆえに常に異常な心理状態と思いきや、随所(ずいしょ)に容疑者の
冷静沈着(れいせいちんちゃく)な心理を伺わせる場面もある。 この異常な事件は日本だけ
でなく世界中で起きている。 

この異常な犯行を考えるとき、世界、日本社会の中で犯人の「殺してみたかった」「殺せと聞こ
えた」などの言葉を聞くと、人の心に常識とかモラルを越えた暴走を起こす装置のようなものが
あると思える。 聖書ではその装置は、悪魔、もしくは悪霊であることを指摘している。 

★旧約聖書  申命記 18:10~:12
       あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせる者があってはならない。占いをする
      者、卜者、まじない師、呪術者、呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死人に伺いを
       立てる者があってはならない。
      これらのことを行なう者はみな、主が忌みきらわれるからである。

●異常な犯行を起こすに至るまでの生活の中で、殺人をゲーム化に仕立てているDVDやら映
画、本、音楽などを見たり、読んだり聞いたりしているケースが多いようである。 そういうもの
に興味を抱く性格にも問題があるのかもしれないが、そういうものが誰にでもいとも簡単に手に
入ったり、見えたり、聞いたりできることも大きな問題であろうと思われる。 そういうものに触
れているうち、いつの間にか思考、感情、意志がマインドコントロールされ、悪霊の望む方向へ
と向かっている。

聖書は、占い、まじない、呪文、霊媒(れいばい)など、その類を禁じている。 それはそれらの
背後では人の正常性を失わせる悪霊が働いているからである。 聖書には「霊」のことが記さ
れている。 人間社会、生活の中で「(悪)霊」の影響は決して切り離せないことがらであるから
だ。

★新約聖書  第一テモテへの手紙  4:1
       しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪
      霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。

★新約聖書   ヨハネによる福音書    8:12
       イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決して
      やみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

●ところが、本来この「霊」のことを教えなければならないキリスト教会までもが、すっかりこの
悪霊に惑わされて骨抜き状態になってしまっている。 HP「角笛」や「エレミヤの部屋」による
と、どうも軒並み「惑わしの霊」にやられて、わずか少数の教会だけが難を逃れるようである。 
今後、キリスト教会の変質はますます進むようである。

この教会の変質については今に始まったことではない。 主イエスがこの地上におられたとき
から、もうすでに始まっていたようである。 ユダヤ人たちはイエスが「悪霊につかれている」と
言っていた。(ヨハネ福 8:48~) 聖霊を悪霊と言い、悪霊を聖霊ということは2千年も前から、
徐々に進んできていたようである。

現代あろうことか、キリスト教国といわれるアメリカ中心に聖書の改ざんが大々的に進んでいる
ようである。 また聖書の語っていることと反対、もしくは微妙にずれを起こさすような教理(偽
教理)もアメリカ発がほとんどである。 明らかに永遠の命から人を遠ざけようとする働きであ
る。 アダムとエバのとき、「善悪を知る木の実」を食べさせて、真に食べるべき「永遠の命の
木」から彼らを遠ざけることに成功した悪魔、悪霊は今日もますます健在で最後の力を振り絞
るべき形相で働いているようである。

★新約聖書 ヘブル人への手紙 (口語訳)  13:8
       イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。

★新約聖書  第一ペテロの手紙 1:25
       しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ
      伝えられた福音のことばがこれです。

●たとえ、世の中がどうのように変わろうが、キリスト教会がますます変質していこうが、主イエ
ス・キリストは、いつまでも変わらないと言われる。 純粋に真剣に主イエス・キリストに求めてく
る者を、いつでも救い、守ってくださる。 改ざんされていない神のことばも変わることはない。 
裁かれる世や裁かれるような教会に翻弄(ほんろう)されることなく、正しい方、主イエス・キリス
トに頼って、従っていきたいものである。 裁かれない教会の中で、主を信じ、絶えず祈り、真
剣に求める者を主は、惑わしの霊、悪しき霊から聖霊によって守ってくださるのである。
 
★新約聖書 ヘブル人への手紙    7:24,7:25
       しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持ってお
      られます。
      したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。