めんどり通信/2006年10月8日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!
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★新約聖書 マタイによる福音書 23:37、(ルカ 13:34) ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ 者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようと したことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。 ★新約聖書 ヨハネの黙示録 3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、 わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。 ●マタイやマルコなど四福音書には、イエスが公生涯に入られ十字架にかかられるまでの3年 半のことが主に記されている。 その中で、耳が聞こえず、口のきけない人を主がいやされたこ とが書かれている。 また、イエスは弟子に教え、群集に教え、律法学者やパリサイ人たちにも語っておられた。 人々はみな驚いて、「これはどうだ。権威のある、新しい教えではないか。汚れた霊をさえ戒め られる。すると従うのだ。」とイエスが律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教え られたから驚いたという。 「世はあげてあの人のあとについて行ってしまった。(ヨハネ福12:19)」 とパリサイ人たちが言う ように、多くの者たちがそのときイエスを信じた。 しかし、イエスの行われた様々ないやしや神 のわざ、奇跡を見ても、パリサイ人や律法学者たちは、イエスを信じようとしなかった。 心がかたくなな彼らに、イエスは 「しかし、もし行なっているなら、たといわたしの言うことが信じ られなくても、わざを信用しなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、あ なたがたが悟り、また知るためです。(ヨハネ福 10:38 )」とまで言われたが、彼らは主を信 じなかった。 それどころか、イエスを十字架につけてしまった。 イエスは、主のことばに耳を傾けない、聞こうとしない、信じようとしない彼らに「あなたがたは、 あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っ ているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理が ないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼 は偽り者であり、また偽りの父であるからです。(ヨハネ福 8:44 ) 」と言われた。 主から”あ なたがたの父は悪魔である”とこのように、はっきりと言われることは何と恐ろしいことか。 神 を敵にまわしているのである。 神の敵となれば、あとは滅ぼされるだけなのである。 恐ろし いことである。 事実、彼らはその後、A.D.70年にローマ軍によりエルサレムが陥落し、第2神殿も焼き払わ れ、エルサレムにいたユダヤ人は滅ぼされた。 当時、クリスチャンは神からの語りかけによ り、エルサレムから逃れて助かったということを聞いたことがある。 ★新約聖書 ヘブル人への手紙 3:13〜15 「きょう。」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくな にならないようにしなさい。 もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者と なるのです。 「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしては ならない。」と言われているからです。 ●さて、今日我々も、ともすれば、主の語りかけ呼びかけに気づかないというだけでなく、パリ サイ人や律法学者のように、主から”あなたの父は悪魔である”と言われてしまう生き方をして いないとも限らない。 我々は、彼らのように心をかたくなにしないで神の御前に素直になりた いものである。 神からの呼びかけは、どこであるのかまた、どのように呼びかけられるのか、一人ひとりみな 違うであろうと思われるが、呼びかけられたときが、その人にとって神の救いのときである。 そのときには素直に招きに応えていくなら幸いである。 神の祝福と恵みの中へと導かれて いくであろう。 また、神はクリスチャンに語られるが、語りかけを聞いたときが、主に従うときである。 そのと きには、すぐにへりくだって従いたいものである。 主に従う者が真に、主を信じていると言える 者であり、幸いな者である。 今日も、主はクリスチャンであろうが未信者の方々であろうが、語っておられる。 呼びかけて おられる。 主に祈って、霊の耳を開いていただき、神の御声を聞こえるように、また聞き逃す ことのないようにしていただきたいものである。 そして、神の呼びかけに応え、従っていきた いものである。 ★旧約聖書 イザヤ書 65:12 わたしはあなた方を剣に渡す。それであなたがたはみな、虐殺されて倒れる。わたしが呼 んでも答えず、わたしが語りかけても聞かず、わたしの目の前に悪を行ない、わたしの喜 ばない事を選んだからだ。」 ★新約聖書 ローマ 人への手紙 10:12,13 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼 び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。 |