めんどり通信/2006年10月1日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!
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★旧約聖書 申命記 5:7〜9 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあ るものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。” ●聖書は本来、すべての者にとって、それは神のことばである。 すべての人に、神は教え、 警告、命令、注意などを与えておられる。 しかし、聖書は基本的には、クリスチャンに対して 書かれていると言っても過言ではない。 冒頭のみことばは、十戒の一番初めに記されている偶像崇拝についての神の命令である。 冒頭のみことばも、すべての人に対して神が言われている。 しかし、通常、クリスチャンは偶 像を造ったり、拝んだりということはしない。 主イエス・キリストを信じ、日々、主に祈り聖書を 読んでいる者が、あるいは教会へ行っている者が、仏や他の何かに心を向けて拝み、祈るとい うことは、まずしない。 ただ、カトリックの人々が、マリヤやキリストの像をまたは、マザー・テレサや聖人の像を拝むと いうのは聞いたことがある。 クリスチャンとは、キリストに従う者という意味があるが、キリスト に従っていない彼らは、もはや、クリスチャンとはいえない。 とにかく、通常、多くのクリスチャンと呼ばれる者たちにとっては、父なる唯一の神がおられる だけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しており、また、唯 一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちも この主によって存在するのである。( 1コリント 8:6) ★新約聖書 ローマ人への手紙 1:25 それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られたものを拝み、これ に仕えたからです。 ★新約聖書 ヨハネの黙示録 9:20,21 これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊 どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝 み続け、その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。 ●多くのクリスチャンは、偶像崇拝とは何の関係もないはずなのだが、聖書の中には結構、偶 像崇拝、偶像礼拝の罪に対して警告している箇所が多い。 それは聖書には表と裏がある、いわばたとえの書であるゆえに、裏を読み取っていくことが、 重要であることを示している。 神が本来、与えようとしている神の恵みや悟りは、主の御心を 真に祈り求めていく者に与えられるからである。 そしてそれが、真のクリスチャンとして成長さ せていくのである。 さて、真理が偽りと取り代えられ、造り主の代わりに造られたものを拝むことに問題ありとある が、これは偶像崇拝の罪は、器崇拝の罪であると聖書は警告しているのである。 ”金、銀、銅、石、木で造られた”偶像とは、信仰のすぐれた器を拝むことについて語っている。 金銀とは聖書の中で、度々信仰に関連して語られ、石は主の弟子について語られ、オリーブや ぶどうなどの木は神の民をあらわす。 だから、これらの偶像は霊の目も耳も開かれていない、歩くこともできない、すなわち、真理が 見えず、神のことばも悟れない、また神の御心の行いもない器をさして語っている。 器崇拝とは、一言で言えばその器に主キリスト以上に頼っていくことをいう。 しかし、聞こえる もの見えるものに頼ろうとする者が多いのであろう。 それで神はあらかじめ、このようにクリス チャンが器崇拝に陥(おちい)らないようにとの警告を多くの箇所で、与えておられるのであろ う。 実際、主の弟子であったヨハネも御使いを崇拝しようとして戒(いまし)められた。 主の弟子で さえ、器崇拝をしてしまいそうになるのだから、我々はもっと気をつけなければならないであろ う。 ★新約聖書 ヨハネの黙示録 22:8,9 これらのことを聞き、また見たのは私ヨハネである。私が聞き、また見たとき、それらのこ とを示してくれた御使いの足もとに、ひれ伏して拝もうとした。 すると、彼は私に言った。「やめなさい。私は、あなたや、あなたの兄弟である預言者たち や、この書のことばを堅く守る人々と同じしもべです。神を拝みなさい。」 ●偶像礼拝のときに、人の手で造られたものを拝むことが多いが、そのことに関しても下記の みことばのように神は言われる。 ★旧約聖書 エレミヤ書 25:6 ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んではならない。あなたがたが手で造った物 によって、わたしの怒りを引き起こしてはならない。そうでないと、わたしもあなたがたに わざわいを与える。 ★新約聖書 第一コリント人への手紙 10:20 いや、彼らのささげる物は、神にではなくて悪霊にささげられている、と言っているので す。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。 ●神は偶像崇拝をする者に対して怒られ、わざわいを与えると言われる。 全能の神が怒られ るのであれば、だれがその怒りに耐えることができようか。 また偶像に供え物をささげるなら ば、それは上記のみことばのように言われる。 神は悪魔、悪霊を憎んでおられる。 だから人が造ったものにささげることは、その背後にいる 悪霊にささげること、つまりその人が知らなくても、悪霊を崇拝していることになり、また悪霊と 交わること、つまり悪霊の影響を受けてしまうことになる。 だから禁じておられるのである。 我々が神を愛し、神のみことばを行うならば、神は恵みを千代にまで施して下さるお方である。 今、地上に生きている我々が、真に主イエス・キリストを信じて、偶像崇拝、器崇拝を避けて、 主に頼っていくことが一番の先祖供養(せんぞくよう)と言えよう。 我々は聖書を読んで神のみこころを聖霊によって悟らせていただき、日々、主に心から祈っ て、神の恵みをいただいていきたいものである。 ★旧約聖書 出エジプト 20:6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。 ★新約聖書 ヨハネの黙示録 21:8 しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう 者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中に ある。これが第二の死である。 |