めんどり通信/2006年7月16日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書 ルカによる福音書 7:7
   ですから、私のほうから伺うことさえ失礼と存じました。ただ、おことばをいただかせてくだ
   さい。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。

★新約聖書 ヨハネによる福音書 1:1
   初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

●ルカによる福音書7章にクリスチャンにとって模範となる信仰のことがが書かれている。 あ
る百人隊長(百人の部下を持つローマの駐留軍の隊長)のしもべのひとりが病気で死にか
かっていた。 百人隊長はイエスのことを聞き、みもとにユダヤ人の長老たちを送って、しもべ
を助けに来てくださるようお願いした。 

この百人隊長は異邦人であったが、ユダヤ人たちによくしていたようである。 長老たちは「あ
の方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建
ててくれたのです。」と百人隊長のために熱心に願っている。

そこでイエスは長老達たちと一緒に百人隊長の家に向かわれた。 すると百人隊長は友達を
使いにやって言わせた。 「主よ、わざわざおいでくださいませんように。 私はあなたを自分の
屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ですから、私の方からお伺いするのさえふさ
わしくないと思いました。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必
ずいやされます。 私も権威の下に置かれている者ですが、私の下には兵隊がおり、一人に
『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言
えば、そのとおりにします」と。 

★新約聖書 ローマ人への手紙 10:11
   聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」

●百人隊長は、異邦人であったにも関わらず、イエスが神の御子であり、最高の権威を持っ
ておられるお方であることを信じていた。 だから、そのイエス様が、病んでいる者の場所にい
なくても、いやしの命令一つで即座にいやされると信じていた。 イエスは彼の信仰に驚き、
賞賛された。 使いに来た人たちが家に帰ってみると、しもべはよくなっていたという。

★新約聖書 マルコ による福音書 4:9
   そしてイエスは言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」

★新約聖書  ヘブル人への手紙  1:2
   この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者
   とし、また御子によって世界を造られました。

●さて、主イエスは今日、我々の肉眼をもっては見えないが、確かに生きて存在しておられる。 
我々の罪の身代わりとして十字架で死んでくださったが、3日目に復活されて今も生きておら
れる。 だから 今も我々が求めると病気(身体だけでな、霊的な病気:今日の病の多くの原因
は<悪>霊にあると思われる)をいやしてくださる。 また、耳を傾けて聞こうとする者に今も
尚、語ってくださる方である。 

当時のように肉声ではないが、主キリストは必ずその人にわかるように語ってくださる。 聖霊
がその人にわからせてくださる。 悟らせてくださる。 確かに聖書は”神のことば”である。
聖書を読む者たちに語っておられるのだが、主キリストは、百人隊長のように、また聖書の他
の箇所でもその人その人に語られている場面があるが、そのように語られる。

”神がことばを発せられたら、そのとおりになる!”というのが聖書の原則である。 キリストの
ことばが来たなら、状況が変わっていなくても、時が来ればそのとおりになる! その神のこと
ばを信頼する、信じる、それが信仰である。 決して自分の思い込みを信じるのではない。

★新約聖書  エペソ 人への手紙 1:20、21
   神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、
   天上においてご自分の右の座に着かせて、
   すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世におい
   てもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。

●キリストは権威を持たれているから、ことば通りになる! ヨハネの黙示録には未来のこと
が書かれているが、これはもうすでに神がことばを発せられているということである。 だから、
黙示録を私的解釈するのではなく、聖霊によって霊の目を開いていただいて、厳粛(げんしゅ
く)に受け取らなければならない。 黙示録には、終わりの日に、未信者だけでなく、主につか
ない教会や人から見たクリスチャン、主に従っていないクリスチャンが裁かれることが記されて
いるのである。 

我々は、どのような者でも救うことがおできになられるキリストを真に信じ、キリストが語ってくだ
さるよう祈り求めていきたいものである。 そして 来るべき神のさばきから逃れさせていただき
たいものである。

★新約聖書 ローマ人への手紙 10:17
   そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるの
   です。

<私的解釈に関して第二ペテロ1:20,21に記されているが、原語の意味は、その箇所のみから
解釈してはならないということであると神が立てられた預言者に主は知らされたようである>