めんどり通信/2006年4月16日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!
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★旧約聖書 アモス書 4:12 それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするか ら、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。 ★新約聖書 第一テモテの手紙 6:19 また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上 げるように。 ●備えのないまま死ぬのは恐ろしい。 我々は罪の問題を解決しないでは、神の前に大変なこ とになる。 罪というとき、モーセの十戒の最初に書かれているのが、人間が他のものを神 としたり、偶像を造ってそれらを拝んではならないということである。 神は偶像礼拝を忌み嫌 われるのである。 ★旧約聖書 出エジプト記 20:3、20:4 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあ るものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。 ●人間は自分にあわせて様々なものを神としてつくりたがる。しかし、本来、偶像なるものは実 際にはない。(新約聖書 第一コリント人への手紙 8:4) 私たちには、父なる唯一の神がおら れるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在している。 ま た、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私 たちもこの主によって存在するだけである。(第一コリント人への手紙 8:6 ) しかし、自ら神をつくる者はそのことを認めようとしない。 そして、自ら滅びに向かっている。 このことに気づき、認めて神に立ち返る者は幸いである。 また、口では聖書の神、父なる唯一の神を信じていると言いながら、他の神をも認める者も 、これまた真の神を知らないし、自分の神をつくっているのと同じである。 世の人々が絶賛しているマザーテレサは、この部類に入る。 「人はキリスト教からでも、仏教 からでも、イスラム教、ヒンズー教などどの宗教からでも神に至る(多元主義)」などと主が忌み 嫌われることを言っている。 そして死に行く間際の人にキリストの救いを伝えないで、人々か ら天の御国をさえぎっている。 だから、知り合いの神父に「自分と神の間には大きな隔(へだ)たりがある。 自分は救われて おらず苦しい。」と心の内の悩みを手紙に書いていた。 しかし、カトリックは彼女の死後、彼女を”福者”と認めた。 マリヤはキリストと共同のあがない 主と言ってマリヤ崇拝をしたり、イエス・キリストによる救いに行ないを足さなければ救いがなさ れない、地獄はないなどと教えたり、聖書の権威よりもロ一マ法王の権威を上とするカトリック は、もはやキリスト教ではない。 そのカトリックと手を結ぼうとする(エキュミニカル運動)多く のプロテスタントの教会も聖書の言わんとするところから はずれてしまった。 ★新約聖書 ヘブル人への手紙 9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、 ★新約聖書 ローマ人への手紙 2:12 律法なしに罪を犯した者はすべて、律法なしに滅び、律法の下にあって罪を犯した者はす べて、律法によってさばかれます。 ●すべての人は、死後、必ず、神の前に立たねばならない。 神のさばきがあるのである。 さばきという時、死後、無の状態になるから何も分からなくなるとか、皆、天国に行くとか、仏さ んになるとか・・・で何の関係もないというように、案外、多くの人は死後の行き先について考 えようとしない。 しかし、旧約のヤコブは墓にこだわった。 死後どこへ行くかにこだわった。 また他の聖書の 中の人たち、旧約のアブラハム、モーセ、ダビデ・・新約のペテロ、パウロ、ヨハネ、・・なども 皆、死後、行くべきところがあるのを知っていたから、彼らは皆、永遠のいのちを得ることにこ だわった。 故にこの地上の歩みを旅人としての歩み方をして、ゴールである永遠の御国を 目指した。 彼らは、この地上のことより、いのちの書に名前が記されることを選んだ。 我々も この地上 のことは生きている限り確かに大切であるが、もっと重要なのは死後の行き先であることを認 め、主に導かれて、まっすぐゴール(永遠の御国)を目ざして、旅人として生きながら、死後へ の準備を始めたいものである。 いのちの書に名を記された者には「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代 にまで施すからである。」(旧約聖書 出エジプト記 20:6)という約束も与えられている。 日々、主イエス・キリストに祈り求めていきたいものである。 ★新約聖書 ヨハネの黙示録 20:15 、 21:27 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。 しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都にはいれない。 小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる。 ★新約聖書 ローマ人への手紙 6:23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある 永遠のいのちです。 ★新約聖書 使途行伝 4:12 この方(イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名 のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていな いからです。」 |