めんどり通信/2006年3月26日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★旧約聖書 詩篇 121:1、2
    私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
    私の助けは、天地を造られた主から来る。

★新約聖書 ローマ人への手紙 10:11
    聖書はこう言っています。「彼(主イエス・キリスト)に信頼する者は、失望させられること
    がない。」

●新約聖書の福音書にこんな話しが書かれている。 ガリラヤ湖のほとりで話されておられた
イエスは、夕方になって、弟子たちに「さあ、向こう岸へ渡ろう。」と舟に乗られた。 ところが、
途中、激しい突風が起こり、舟は大波をかぶって、水でいっぱいになった。 弟子の半分くらい
はベテランの漁師だった。 

しかし、今にも沈没しそうと彼らに恐怖が襲った。 ふとイエスを見ると、この非常事態に舟の
ともの方で、枕をして眠っておられるではないか。 あわてて、弟子たちはイエスを起こした。
「主よ。助けてください。 私たちはおぼれそうです。マタイ8章」 

マルコの福音書4章には「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのです
か。」と人間のエゴ丸出し、必死だが、主であれ、先生であれ、どうにかしろ、と言わんばかりの
言葉である。 

しかし、そのような弟子たちの願いをイエスは聞き入れられた。 イエスは、風をしかりつけて
「黙れ、静まれ」と命じられた。 すると風は止んで、おおなぎになったとある。

★新約聖書  エペソ人への手紙 2:8
   あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出
   たことではなく、神からの賜物です。

●日々の生活で私たちは、困難や苦しみに会ったとき、すぐまわりの状況、嵐のような状況に
目をとめがちである。 そしてまわりの現象に惑わされ、いつの間にか自分の心の方が嵐にな
り、冷静さを失ってしまいがちである。 そうすると、後から々、不安が出て来て、見失ってはな
らないものを見失ってしまうということになってしまうのである。

ここで弟子たちも、全能の神、主イエス・キリストが自分達と一緒の舟に乗っているのだから、
沈むはずはないという事実が見えなくなってしまっている。 弟子たちがこわがってしまった原
因、イエスに対する信頼がなかった原因は、弟子たちがまだイエスの事を本当には理解してい
なかったことにあると思われるが、弟子たちは、イエスが一体どういう方なのか理解していなか
った。 

弟子たちはイエスが風や湖までも従わせることのできる方、すなわち人となった神であることを
理解していなかった。 イエスの奇跡は単に私たちが困っている時に助けるために行われたの
ではない。 イエスは、自然を制することで弟子たちにご自身を示してくださった。 弟子たち
が、イエスの力への尊敬を越えたおそれ、畏怖(いけい)の気持ちにとらわれ、主を単純に信
頼できるようになるためである。 奇跡を通してイエスが人となった神であることを私たちが知
り、この神に信頼するようになるためである。

この主イエス・キリストは、自然に対して、命令される方であり、神である。 神がこの「天地を創
造した」(創世記)ことは明らかである。 天地の創造主こそが、自然をも支配でき、権威をもつ
ことができるのである。 だから私たちが信じる神、主は十分に信頼するに足るお方である。 

単純にイエスに信頼することの信仰。 それこそが、神が我々に求めておられることであり、
我々がキリストを知る、体験するための、いわばひとつの大切な条件と言えよう。 だから そ
れを体験するために、主に祈ることを勧めるのである。

 ★旧約聖書 詩篇  118:5,6,7,8,9
    苦しみのうちから、私は主を呼び求めた。主は、私に答えて、私を広い所に置かれた。
     主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。
    主は、私を助けてくださる私の味方。私は、私を憎む者をものともしない。
    主に身を避けることは、人に信頼するよりもよい。
    主に身を避けることは、君主たちに信頼するよりもよい。

●キリスト教聖歌の中に下記のような歌詞の歌がある。 人の一生を、人生という海の中に浮
かぶ「船」に例え、静かな凪(なぎ)の時もあれば、嵐に揉まれ悲しみや不安におののく時もあ
る。 でも私たちは必ず神という名の港にたどり着き、不思議なその御手の中で命びろいし、安
らぎが与えられるという歌である。

■「人生の海のあらしに」聖歌472番

(1)人生の海のあらしに  揉(も)まれきしこの身も  ふしぎなる神の手により 命びろいしぬ
   いと静けき港に着き われはいま安ろう   救い主イエスの手にある身はいとも安し
  
(2)悲しみと罪のなかより  救われしこの身に  いざないの声もたましい揺すぶることえじ
   いと静けき港に着き われはいま安ろう   救い主イエスの手にある身はいとも安し
 
(3)凄(すさ)まじき罪のあらしの もてあそぶまにまに死を待つは誰ぞただちに 逃げ込め港に
   いと静けき港に着き われはいま安ろう   救い主イエスの手にある身はいとも安し

★新約聖書 第二テモテへの手紙 4:18
   主は私を、すべての悪のわざから助け出し、天の御国に救い入れてくださいます。主に、
   御栄えがとこしえにありますように。アーメン。

●日々の生活で、嵐の中であろうが、静かな凪(なぎ)のときであろうが、周りに影響されること
なく、この主イエス・キリストに心の目を向け、この方を見失うことのないように祈り求めていき
たいものである。 日々、主に祈ることにより、この方が全能の神、また救い主であられること
を体験し続けていきたいものである。