めんどり通信/2006年3月19日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!


★新約聖書 マタイによる福音書 9:22 、9:29
   イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があ
   なたを直したのです。」

    そこで、イエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ。」と言われた。

★新約聖書 ヘブル人への手紙 11:6
    信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、
    神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。

●四福音書を読んでいてイエスのことばの中に「あなたがたの信仰のとおりになれ。」とか「あ
なたの信仰があなたを救ったのです。」などという言葉がよく書かれている。 主は、私たちの
信仰を重視されている。 

「主イエス・キリスト様を信じている」とは、クリスチャンなら当然、告白できることである。 しか
し、主を信じるということは、最後まで、ゴールに着くまで信じることを続けることでもある。 
人によって、いつ救いにあずかるかは、まちまちであろうが、その人が主を信じてから、ゴール
に行き着くまで、主を信じることを続けることが、神の最終の大きな恵み、永遠のいのちにあず
かることである。

また、信じるとは、主に信頼することである。 主によりすがり続ける者が、主を信じたと言えよ
う。 信頼しているから、頼るのである。 また、頼るときには、自分の罪深さ無力さ愚かさを
知って、自分ではどうしようもできないということを認めているのである。 主に信頼し続ける者
は、幸いな者と神のことばである聖書は書いている。 

★旧約聖書 箴言 16:20、 22:19
   みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。

★旧約聖書 箴言  22:19
   あなたが主に拠り頼むことができるように、私はきょう、特にあなたに教える。

★新約聖書 マタイによる福音書 7:21
   わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天にお
    られるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。

●ここで、主よ主よと言うのは、明らかにクリスチャンであると言える。 クリスチャンは キリス
トにつき従うものという意味あいがある。 クリスチャンと人から呼ばれているものが、神からみ
れば、案外違うというのである。 クリスチャンと呼ばれる者がみな、神につき従うクリスチャン
であるなら、上記の御ことばのようには記していないであろう。

しかも上記のクリスチャンは、クリスチャン歴が長いのか、もしくは相当、すばらしい働きをして
いるクリスチャンのようである。 「その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主
よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名に
よって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。マタイ 7:22 』
と書かれているからである。
外側からはわからないものである。

神の見方は、クリスチャンと呼ばれるものが、神の御心をおこなっているかどうかを見ておられ
るようである。 確かに、主イエスを信じたばかり(新生して間もない頃)では、主のみこころを
行なうというよりも、主からいただくことが多いと思われる。

しかし、人がいつまでもミルクばかりで育つというのではなく、離乳食を食べ、そして柔らかい食
物へそれから堅い食物を食べることができる、というように成長していくであろう。

クリスチャンも同じである。 成長があるのである。 成長したものは神の御心を行なおうと心
が向いてくるであろう。 もちろん、神は御心を行なうにあたっては、自力でやれ、とは言われな
い。 むしろ、肉(生まれ持った性質など)は役にならず、肉は切り取られて、キリストから頂い
たもので聖霊の導きで行なうように命じておられる。

★新約聖書 ローマ人への手紙 8:6
    肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。 

●こうしてみるときに、信仰にせよ、クリスチャンにせよ、キリストの弟子にせよ、我々クリス
チャンにせよ、聖書の解釈にせよ何でも神から見たものと人からみたものがあるということであ
る。 しかし、結局は聖霊に導かれているかどうかが鍵となるようである。 

ゴールまで聖霊に導かれながら、主のみこころをキリストに頼って行いながら、主イエス・キリス
トを信じ続けるならば、神から見たクリスチャンで信仰があったと言えるであろう。 そのような者
に神は聖書の約束の恵みを与えてくださるのである。 いよいよ、主に頼って、主に祈り求め
ていきたいものである。

★新約聖書 ヨハネによる福音書 14:26
   しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがた
   にすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせて
   くださいます。

★新約聖書 ローマ人への手紙 15:13
    どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊
    の力によって望みにあふれさせてくださいますように。

★新約聖書 ヘブル人への手紙  11:1
   信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。