めんどり通信/2006年2月19日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!
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★新約聖書 ローマ人への手紙 8:14
神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
★新約聖書 ヨハネによる福音書 3:18
御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、
すでにさばかれている。
★新約聖書 ガラテヤ人への手紙 3:26
あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。
★新約聖書 ヨハネによる福音書 1:12
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされ
る特権をお与えになった。
●神が人を見られたとき、すべての人が罪を犯した、善い人は一人もいない(ローマ3:12、詩
篇 14:3)と言われる。 また罪の結果は死(滅び)である(ローマ 6:23)と言われる。 そして
罪がゆるされるためには、「いのちとして贖(あがな)いをするのは血である。レビ記17:11」
罪のない者のいのち(血)が、あがないができると神は定められた。
アダムとエバの時、人の中に罪が入り、それ以来、人は罪人となった。 罪の原語の意味は
的(まと)はずれというが、人は全能の神という的からはずれて、好き勝手に思いのままに生
き始めた。 的をはずれての人間の長い歴史の中で、すばらしいと言われるくらい科学も物
理、航空学、宇宙学、文学、経済、文化、芸術、心理学、医学・・・など進んできたように思わ
れる。
しかし、人間のモラル、道徳、良心・・など心の分野においては、神がかつて、人が罪の極み
に達し、すべての肉なるものが、地上でその道を乱したので、人を造られたことを悔やみ、洪
水をもってすべての肉なるものを地と共に滅ぼされたノアの時代より悪くなっているように思わ
れる。
★新約聖書 コロサイ人への手紙 3:24
あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています。あなた
がたは主キリストに仕えているのです。
★新約聖書 ローマ人への手紙 8:17
もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるため
に苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であ
ります。
●それでも神はあわれみ深いお方である。 人を救うためにイエス・キリストを私たちに与えて
くださり、主イエスを信じるものを神の子としてくださる特権を与えてくださったのだ。
ただ、この「神の子」というとき、これは実子ではなく「養子」であることを覚えておかねばならな
い。 「神の子」(ローマ8:14,15,9:26他)は原語では「養子」という意味がある。 実子はイエス・
キリスト、おひとりである。 だから聖書は、「キリスト・イエスに対する信仰によって」「神の御霊
に導かれる人は」とキリスト・イエスを信じて、聖霊に導かれた者が「神の子」と書いているので
ある。 キリスト抜きで単独では「神の子」になることができないし、キリスト・イエスに対する信
仰がなく、聖霊に導かれていないなら、これまた「神の子」とは言えないのである。
だから、実子であるから何をしていても大丈夫、罪を犯し続けても、大した罪でなければ、実子
なんだから父に悔い改めなくても、父は何でも許してくださる。 父なる神は愛だから許してくだ
さると、たかをくくっているならば、神は養子を解消されるであろう。
真のクリスチャンは、「養子」であるが、御国を、神の栄光を、永遠のいのちを、神の恵み、祝
福を相続することができる位置に置いてくださったのだ。 だから、イエスは真のクリスチャン
に「兄弟よ」とも言ってくださるのである。 主に感謝である!
★新約聖書 ローマ人への手紙 8:11
もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられ
るなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んで
おられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。
★新約聖書 第一ヨハネの手紙 3:1
私たちが神の子どもと呼ばれるために、・・事実、いま私たちは神の子どもです。・・御父
はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御
父を知らないからです。
●神は、我々を永遠のいのちへと入らせるために、神の子としてくださったが、そのために、十
字架でイエス・キリストの血が流されたことをクリスチャンは決して、忘れてはならない。 この
お方が、私たちの罪を処分されるために、滅びから救うために、十字架で死んでくださったので
ある。 だから、的(まと)を父なる神に、主イエス・キリストに向けた者は、いつも喜び、絶えず
祈り、すべての事について、感謝して(1テサ5:16〜18)主をほめたたえるのである。
神の子として、日々、主に祈り求めていきたいものである。
★新約聖書 第一ヨハネの手紙 4:10
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え
物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。