めんどり通信/2005年8月28日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!
|
★新約聖書 ユダの手紙 1:20、21
・・・あなたがたは、自分の持っている最も聖(きよ)い信仰の上に自分自身を築き上げ、
聖霊によって祈り、
神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリスト
のあわれみを待ち望みなさい。
★新約聖書 マタイによる福音書 25:13
だから、目をさましていなさい。 あなたがたは、その日、その時を知らないからです。
●マタイによる福音書25章に天の御国をたとえて、賢い花嫁と愚かな花嫁について記されて
いる。 ともしびを持ち、油も用意しておいた賢い5人の花嫁とともしびは持っていたが油を用
意していなかった愚かな5人の花嫁は、花婿を出迎えようとしていた。 花婿が来るのが遅れ
たので、みな、うとうと眠り始めた。 ところが、夜中になって、花婿が来た。 娘たちは、みな
起きて、ともしびを整えた。 しかし、5人の愚かな娘たちのともしびは消えそうだったので、
急いで買いに行っている間に、花婿が到着して、婚礼の祝宴の部屋に5人の賢い花嫁と入
った。 そして、戸は閉められた。 その後で、油を買いに出かけていた娘たちが帰ってきた
が、戸は開けてもらえないばかりか、「あなたがたを知りません。」と戸の中からの応答であ
った。 だから、ちゃんと目をさまして油を用意した、賢い花嫁となりなさい、という話しである。
★新約聖書 マタイによる福音書 7:24
だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建
てた賢い人に比べることができます。
★新約聖書 第一コリント人への手紙 10:4
みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊(みたま)の岩
から飲んだからです。その岩とはキリストです。
●ここで、クリスチャンは花嫁にたとえられている。 クリスチャンには花嫁としての歩みがあ
る。 花嫁というとき、女性の問題は、きちんとした男性と結婚するということである。 このき
ちんとした男性とは、イエス・キリストである。 賢い花嫁は、なぜ賢かったか。 その条件は
何か。 それは、岩の上に家を建てたことである。 岩とはキリストのことである。 つまり、神
が言われる賢いとは、キリストのみことばを行なっていたことである。 みことばは、実際、行
なって始めてわかってきたり、見えてきたりする。
★新約聖書 マルコによる福音書 14:38
誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。
●ともしびを持っているということは、10人の花嫁ともクリスチャンである。 しかし、5人は花
婿キリストとの祝宴の部屋には入れなかった。 油を用意していなかったことは、日々の生活
で、聖霊に従わず、みことばを行なわず、誘惑や惑わし、罪の中で眠った生活を送っていたと
いうことである。 クリスチャンであっても、この5人の愚かな花嫁のように惑わされて、さばき
に入ってしまう人もいるのである。 「1度、イエス・キリスト様を信じているのだから、もう大丈
夫。 何をしても(罪を行ない続けていても、好き勝手しても)、神は愛だから、許してくださる。
み国へ行ける。 さばかれない。」などと、いくら有名な教会の牧師や伝道師、預言者が言っ
たとしても、我々は、聖書の言っていること(=神のことば)を、優先し、信じるべきである。
神のことばは成就(じょうじゅ)するからである。
確かに、クリスチャンになったとき、10人とも花嫁で、キリストとの婚姻の席に入る資格があっ
た。 しかし、油を用意しておく生き方、つまり、主によりすがった生き方をしておかないと、とも
しびは消えるのである。 誘惑は誰にでも来る。 眠るとは、罪が蔓延(まんえん)することであ
り、罪に入ってしまうことである。 この地上生活をしていたら、どうしても足に汚れが付く。 眠
りかける(罪を犯す)こともある。 だから、我々は絶えず、祈りの中で、聖霊に触れられてきよ
められていくことが必要である。
★新約聖書 エペソ人への手紙 4:30
神の聖霊を悲しませてはいけません。 あなたがたは、贖(あがな)いの日のために、聖
霊によって証印を押されているのです。
★新約聖書 第一ペテロの手紙 5:8
身を慎み、目をさましていなさい。 あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのよう
に、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
●花婿は夜中に来られる。 光のない、真実がわからない、夜中である。 まさに今はそのよう
な時代に入ってきたのではないだろうか。 キリスト教会でも、昔とは違ってきている。 何が正
しいか見えなくなっている。 聖書のことばと違う教理が、大手を振ってキリスト教会の真ん中を
通っている。 アメリカのキリスト教会の変質ぶりは甚だしいものがある。 日本もすぐに、アメ
リカに、右へ習えといわんばかりに、あとに続く。 政治も経済も宗教も。 本来、世の光となる
べき教会が神のことばから、甚だしく逸脱(いつだつ)してきているのだから、聖書に書いている
通り、さばかれて当然だろう。 神はみなご存知である。 だから、我々は、きちんと聖霊を宿
し、聖霊に聞き従っているかを日々、点検してみなければならない。 そして、戸が閉められる
前に、油を用意しておきたいものである。 神は、主イエス・キリストに頼って来る者、一人一人
を用意してくださるのである。 聖霊の声に聞き従っているかどうかが重要なのである!!
★新約聖書 コロサイ人への手紙 4:2
目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。