めんどり通信/2005年8月14日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ! |
★新約聖書 第二テモテへの手紙 4:2〜4
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。 寛容を尽くし、絶
えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。 というのは、人々が健全な教えに耳を
貸そうとせず、自分に都合の良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々
に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くよ
うな時代になるからです。
★旧約聖書 イザヤ書 29:13
そこで主は仰せられた。 「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その
心はわたしから遠く離れている。 彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれ
てのことにすぎない。
●イザヤ書29章にたとえで、終末の日には、聖書の専門家と言わず、そうでない人に関わら
ず、だれもかれも、この書が読めず、この終末の預言が読み取れなくなると書かれている。
人間の教えを積み重ねた結果である。 聖書は、人間的な知恵で「進化論は科学的だ」「心理
学はいい」「やればできると信じてやるならば何でも成し遂げることができるんだ。自己実現で
きるんだ。(可能性思考)」などと、聖書では言っていない、むしろキリストから引き離すような
わけのわからないことを語っている者たちが、裁かれると書かれている。
終末には、かつて主に「この岩に教会を建てよう」と言われた弟子が変質していく。(エゼキエル
27:1,2) 聖霊の中にあった弟子、罪から縁遠かった弟子、それゆえ神から祝福を受けてい
た弟子。 しかし、終末に近づくにつれて、その弟子が変質してくるという。
なぜ? それは、西洋的な人の方法、人の知恵、人の考えを教会内に、クリスチャン内に取り
入れて、その結果、あるべき位置から離れ、主の喜ばれた地位から引き出されるようになるか
らだ。 その結果、教会、クリスチャンは破壊されるという。(エゼキエル書27章) だから終末
の日は、この教団、この教会、この牧師、このクリスチャンなら大丈夫とは言えなくなるのかも
しれない。
しかし、聖書によるなら、これはすべてのクリスチャンではない。 わずかながら、最後まで真
に、聖霊に聞き従うクリスチャンが残されている。 その者たちは、「わたしは まことの羊飼
い」と言われた主イエスの声を聞き分けていく者=聖霊に従う者である。 彼らは、誤り、偽り
、惑わしから逃れることができる。
★新約聖書 ヨハネによる福音書 10:7、9、27
そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。 わたしは
羊の門です。
9 わたしは門です。 だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。 また安らかに
出入りし、牧草を見つけます。
27 わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。 またわたしは彼らを知っています。 そし
て彼らはわたしについて来ます。
●聖霊は、様々なかたちで神のみこころを語っておられる。 神には神のみこころがある。 神
の方法、考え、意志がある。 その みこころは、真に求める人々には明らかになる。 ただ、
我々が、主のみこころを知ろうと、どれほど真剣になっているだろうか。 どれほど、時間をかけ
ているだろうか。 内容にもよるが、結構、神のみこころを知ることは、むずかしいものである。
また、罪から離れていなければ、目は開かれないから、神のみこころを知ることはできない。
聖書では罪と盲目は関係すると書かれている。
しかし、主みこころを知り、キリスト・イエスを知り、またより深く知ったならば、何物にも代えが
たいものである。 主の前に、正直になり、へりくだって主のみ声を聞き分ける賢い者となって、
神の満ち溢れんばかりの祝福と恵みを頂きたいものである。
★新約聖書 ピリピ人への手紙 3:5〜8
私(パウロ)は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者で
す。 きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほ
どで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。 しかし、私にとって
得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。 そ
れどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っているすばらしさのゆえに、いっさいのこ
とを損と思っています。 私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくた
と思っています。
★新約聖書 第一コリントへの手紙 2:1,2
さて兄弟たち。 私はあなたがたのところに行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた
知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。 なぜなら私は、あなた
がたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らない
ことに決心したからです。