めんどり通信/2005年4月10日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!
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★新約聖書 ルカによる福音書 18;1
いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえ
を話された。
★新約聖書 ヨハネによる福音書 16;24
あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。 求めなさい。
そうすれば受けるのです。 それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。
●ルカによる福音書の18章に上記のように話されたイエスのたとえが記されている。 ある町
に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。 その町に、ひとりのやもめがいたが、彼
のところにやって来ては、自分を守るため裁判をしてくれるように言いに来ていた。 彼は、し
ばらくは取り合わないでいたが、このやもめが、うるさくてしかたがないので、この女の為に裁
判をした。 主は言われた。 「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。 まして神は、夜
昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれ
ることがあるでしょうか。 あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさ
ばきをしてくださいます。・・・」
私たちは、この地上で生きている限り、様々な嫌なことに出くわしたり、様々な問題が起きたり
する。 主を信じる者は、聖書の約束の御言葉をもって、父なる神に、主イエス・キリストに
祈る。 ただ、人は祈っていても、すぐに祈りの結果がみえないと、祈りが聞かれていないので
はないだろうか?、祈っていてもダメなのではないだろうか?、と祈りをやめてしまうような者で
あることを主は、ご存知である。 だから、主は「わたしは、祈りを聞いている。 失望するな。」
と前もって語っておられるのかもしれない。
苦しい事柄についての祈りほど、早く聞かれて解決されたいと思うものであろう。 しかし、主は
聞いておられないのではない。 その事柄に対して、その人に対して、一番、良いと思われる時
を、主はご存知なのだ。 祈りについても、主は我々が後に続くようにと、模範を示し、その道を
備えてくださった。
★新約聖書 ヘブル人への手紙 5;7〜9
キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、
大きな叫び声をもって祈りと願いをささげ、そして その敬虔のゆえに聞き入れられた。
キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全
な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり・・
●旧約聖書の出エジプト記に記されていることだが、イスラエル人がアマレク人との戦いの中、
モーセが丘の頂に登り、手をあげているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしていると
きは、アマレクが優勢になった。 しかし、モーセの手が重くなって手があがらなくなった。 敵
が優勢になるのを見て、そこに共にいたアロンとフルは、ひとりはこちら側、ひとりはあちら側
から、モーセの手をささえた。 彼の手は、日が沈むまで、しっかり あげられたままであった
ので、イスラエルは勝利したというのである。 聖書に記されている歴史誌(事実)や、箴言、
預言、手紙などすべての御言葉の一字一句、神の言わんとしておられる意味あいがある。
御言葉を国語の文章のように、言葉をそのまま受け取るのではなく、奥に神の深い御心が隠さ
れていることを知っておかねばならない。 だから、聖書の御言葉は、聖霊によってでないと、
真の意味を知ることができないのである。
さて、モーセの箇所でも、主が言われた、祈り続けるなら、失望に終わることがないということ
を我々に語りかけている。 むしろ、勝利であることを我々に教えようとされている。 手を上げ
る=祈りのことである。 しかし、祈り続けることは、途中、手が重くなるのである。 だから、
兄弟互いに祈りをもって助け合うことが必要なのである。 パウロもよく、わたしの為に祈って
ほしいと兄弟姉妹たちに依頼している。 この世では戦いが多い。 実際の戦争というのでは
なく、誘惑との戦い、人間関係での心の戦い、・・・・・。 戦いに勝つためには、祈ることである。
祈りの中で勝利を得ることができるのである。 祈りの中で聖霊に触れる。 そうして主の時
に、我々は祈りの結果を見ることができるのである。
★新約聖書 ヤコブ人への手紙 5;13
あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。 その人は祈りなさい。
★新約聖書 ピリピ人への手紙 4;6〜9
何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝
をもってささげる祈りと願いによって、あな
たがたの願い事を神に知っていただきなさい。 そうすれば、人のすべての考えにまさる
神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
●心を主に向け、失望せずに、神の御言葉を自分の願いとして、祈っていきたいものである。