めんどり聖書研究会/めんどり通信

めんどり通信/2005年12月4日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★旧約聖書 創世記 2:9
   神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせ
   た。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木とを生えさせた。

★旧約聖書 創世記 2:16、17
   神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べ
   てよい。
   しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あ
   なたは必ず死ぬ。」

★旧約聖書 創世記 3:4、5
   そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
   あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようにな
   り、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」

★旧約聖書 創世記 3:6、7
   そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその
   木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与え
   たので、夫も食べた。
   このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。
   そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。

●人間にどのように罪がはいってきたかが創世記には克明に記されている。 エバは無理矢
理、サタン(悪魔)に善悪を知る木の実を食べさせられたのではない。 惑わされたあげく、結
局、自分の意志で自分で食べた。 悪魔の惑わしの常とう手段は、「神のことばを裏切る行為」
に伴うメリットに関して強調する。 エバの時も、目が開けて神のように善悪を知る、賢くなると
いうものだった。 

今日、我々人は、確かに善悪の知識の木の実を食べてしまったと思われる思考、感情による
言動を日常生活の中で普通にしているのではなかろうか。 賢い、勉強ができるということは、
世の中で生きるには生きやすいし、人からも羨望(せんぼう)のまなざしで見られ、自己満足も
する。 神のように、自分で善悪を判断し、自分を基準にして、それが世から見て正しければ、
これまた、世の人々からほめられる。 それらが悪いことであろうか。 いや、決して悪くはな
い。

むしろ、賢いこと、勉強ができること、善悪をちゃんとつけれることは、世からも求められ、世か
ら推奨(すいしょう)もされることであろう。 昨今の教会の一つの特徴にも、知識優先、学問優
先、知恵優先がある。 何しろたくさん知識を持った学者が教会においては優先されているら
しい。

しかし、聖書は、イエス・キリストは不思議なことを言われる。 下記の御言葉である。

★新約聖書 マタイによる福音書 11:25
   そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。
   これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。

●主が言われる幼子とは、小さい子が親を離れては何もできない、親に何でも頼らなければな
らないというように、たとえである。 主に何でも頼る者をいう。 また、主の前にへりくだった者
をいう。 そのような者に、主はみこころを現わしてくださるというのである。 しかし、人が知識
の木の実を食べ続け、自信を深めていくと幼子ではなく「人が神のようになり」と傲慢(ごうまん)
になる。 

神の見方と人の見方は明らかに違う。 人は目が開かれたら裸であることに気づいたという。 
裸とは、衣を着ていないこと。 裸は罪の状態をあらわす。 目が開けて賢くなったはずの人
間が、神からは罪人と見られた。 実際、その後の人類の歴史をみても、すばらしいと思わ
れることも多かったであろうが、結局、世は荒(すさ)んできたのではないだろうか。 

人がすることとは思えない事件が、頻繁(ひんぱん)に起きている。 そういう事件は珍しいもの
ではなくなった。恐ろしいことである。 賢くなった人間が作り上げてきた世。 しかし、聖書は
はっきり言っている。「世の君(口語訳」はサタン(悪魔)であると。 そして、「世はますます悪く
なる」と。 

神を無視した善悪を持つことは、人間を幸せにするどころか、滅びへと向かわせている。 サタ
ンの思うつぼである。 今後、この世のこのような状態が延々と続くのではない。 神が定めた
日が来れば、すべては一新されるであろう。 聖書は書いている。 だからこそ、今の時を大切
に過ごしたいものである。神を基準として、幼子のように主によりすがって生きていきたいもの
である。 そうすれば、今後、大々的に世界的に来る惑わしから逃れることができ、永遠の命
の中へといれられるであろう。

★新約聖書 第二ペテロへの手紙 3:7
   しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬
   虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。

★新約聖書 ガラテヤ人への手紙 5:16
    私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるよう
    なことはありません。

★旧約聖書 ヨブ記 2:22
   人は神の役に立つことができようか。賢い人さえ、ただ自分自身の役に立つだけだ。