めんどり聖書研究会/めんどり通信

めんどり通信/2005年10月30日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★旧約聖書 レビ記 7:11
   主にささげる和解のいけにえのおしえは次のとおりである。

★新約聖書 コロサイ人への手紙 1:22
   今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和
   解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者と
   して御前に立たせてくださるためでした。

★新約聖書 ヘブル人への手紙 9:26、27、28
   ・・・・しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除
    くために、来られたのです。
    そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリ
    ストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を
    負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。

●レビ記7章には、罪がゆるされるためには、どうするかということが記されている。 いけにえ
をささげるというのが旧約聖書の教えであるが、現物のものをもって、どのようにささげるかが
詳細に記されている。

旧約時代には、「いけにえをささげる」は動物をほふって、その内臓や血を様々の方法で、ささ
げることが記されているが、これはまた、一つの型である。 このささげものとして、イエス・キリ
ストは我々のところに来てくださった。 

★新約聖書 ローマ人への手紙 14:10
   ・・・・・私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。

★新約聖書  第二コリント人への手紙 5:10,11
   なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自そ
   の肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。
   こういうわけで、私たちは、主を恐れることを知っているので、人々を説得しようとするので
   す。・・・・

●我々人間は、この地上の人生の道をひとりひとり、様々な生き方をするであろう。 その長さ
もまた様々である。 百年生きる者、80年、70年、50年の者。 中には幼くして人生を終える
者もいるであろう。 しかし、どんなに長生きしたとしても、医学が発達したとしても、人の肉体
の命には限りがある。 人には寿命がある。 

人は、地上の人生を終えるとき、その地上生活をどう生きたかの清算をしなければならない。
そのようなときが来るのである。 どのような人にも来る! 

世のため人のため貢献した人、平凡に生きた人、嫌われ者として生きた人、刑務所に入るよう
な罪を犯した人、・・・・。 様々な生き方の中で神は、その一人一人に対して問われる。 清算
される。 

どんな人でも最低お金に換算するならひとり6千億円の借金があると聖書は記している。 この借
金はたとえ、つまり罪である。 6千億円の借金、いわば、自分の力では払いきれないほどの罪
が、どんな人にもあるということである。 罪は修行しようが、善行しようが、人の力ではどうす
ることもできないということを語っているのである。 

罪の処分は、人にはできないことなのである。 だから、神のひとり子イエス様が、この地上に
来てくださったのである。 罪を処分するため、我々の身代わりとなられて十字架にかかってく
ださったのである。 そして我々を永遠に生かすため、3日目によみがえられて、今も生きて働
いてくださっているのである。 主イエス・キリストを求める者を救って下さるのである。 

★新約聖書 ルカによる福音書 12:58,59
   あなたを告訴する者といっしょに役人の前に行くときは、途中でも、熱心に彼と和解するよ
   う努めなさい。そうでないと、その人はあなたを裁判官のもとにひっぱって行きます。裁判
   官は執行人に引き渡し、執行人は牢に投げ込んでしまいます。
   あなたに言います。最後の一レプタを支払うまでは、そこから決して出られないのです。

●上記の御言葉はどんな人にもさばきの日があること、また体の命のある間に、神と和解して
いなければ(=罪のゆるしを受けなければ、救いを受けなければ)、牢に入れられてしまうこと
を言っている。 厳粛なことである。 

イエス・キリストによって神と和解できると聖書は、はっきりと記している。 神は、生きる(永遠
に)ために、イエス(=救い)を受けよ、神が差し出した和解を受けよ、と仰せられる。 

我々は、さばきの日があることを知らなければならない。 肉体の死が終わりでないことを知ら
なければならない。 また、知った者は、さばきの日のあることを知らせなければならない。  

聖霊は我々のため、絶えず、とりなしをしてくださっている。 我々は、この救い主イエス・キリ
ストを受け入れて、さばきの日のために今から備えておきたいものである。 我々の罪をおお
ってくださる主に 求めていきたいものである。

★新約聖書  第二コリント人への手紙 5:18,20
   ・・・神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ・・・神の和解を受け入れなさい。