めんどり聖書研究会/めんどり通信

めんどり通信/2005年1月9日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書 ヨハネによる福音書 14:6
   イエスは言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。 わたしを通してで
   なければ、だれひとり父のみもとに来ることはできません。

★旧約聖書 詩篇 37:23,24 (口語訳)
   人の歩みは主によって定められる。 主はその行く道を喜ばれる。 たとい その人が倒
   れても全く打ち伏せられることはない。 主が その手を助けささえられるからである。
 
●聖書が道と言う時、その道をさがし出すことは、人の生き方において大きなポイントとなる。
道=主の道をさがし出すことに大きな意味あいがある。 
道を歩むときの問題は、知らずに、その道を踏み外す、関係のない道へ紛れ込むということで
あろう。 また、道と言う時、主の道があり、人の道がある。 主の道を歩む者は、主の導きを
求めるだろう。 また、主の導きなしでは 歩めない道でもある。 主の道は、永遠の御国へと
続く道であり、神の御心を”悟る”道である。 ただ、主の道=公義の道は(箴言2;8)は、小
さく、わかりずらく、人が見つけがたい道である。

★新約聖書 マタイによる福音書 7;13,14
   狭い門からはいりなさい。 滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。 そして、そ
   こからはいって行く者が多いのです。 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見
   い出す者はまれです。

しかし「主よ。あなたの道を私に知らせ、あなたの小道を私に教えてください。」(詩篇25;4)
と求める者には、必ず教えて下さる。 そして「悪の道」から救い出される。

★旧約聖書 詩篇32;8
   わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。 わたしは、あなたがたに目
   を留めて、助言を与えよう。

●主は、求める者たちの道を守ってくださる方である。 たとえ我々に判断力がなく、知識がな
いとしても、主は不思議な方法で、その偽りを教えて下さる。 また、知らずに迷いの道、闇の
道に歩んでいたとしても、あわれみをもって、目を覚まさせて下さり、正しい道へと軌道修正を
して下さる。 

★旧約聖書 箴言 1;10,15
   わが子よ。 罪人たちがあなたを惑わしても、彼らに従ってはならない。
   わが子よ。 彼らといっしょに道を歩いてはならない。

●ここの罪人は、信者、未信者両方をさしているが、クリスチャンの場合、聖書を知っている
が、罪を犯している人々と思われる。 今、クリスチャンと呼ばれている人々が、意図的に
クリスチャンを惑わして、反キリスト側に付かそうと画策している一群の人々により、まんまと
だまされて、神の御言葉から、遠くかけ離れる時代が、すでに来はじめている。 クリスチャン
と言えども、はっきり義人と罪人とに分かれ、罪人が「罪のない者」の血を流す計画に引きず
られ、巻き込まれていく時代が始まったようだ。 欧米では顕著に現れ始めている。 

人々は耳ざわりのいい話しに耳を傾け、広い道を行きたがる。 クリスチャンも、義人は信仰
によるのだから、行ないばかり強調してはいけないなどと、理屈をこねて、御言葉を行なおう
としなくなった。 また、マザーテレサのように、キリスト抜きでの行ないだけ強調するのも、
真のクリスチャンとは言えず、人を救いに導くどころか、人が救われるのを妨げる、むしろ曲
がりきった人々と言えよう。 要は救われていないのである。 本人も「自分と神の間には、
深い溝があって、隔たりがある。 自分は救われていない。」などと、聖書の御言葉に反す
ることを言い、心はもがき苦しんでいたが、それでもカトリックの行ない重視を強調し、キリス
トの救いを受け入れようとしなかった。 

主よ、主よと呼んでも神の御言葉(御心)を行なわない者、主イエス・キリストを信じない(受
け入れない)で、行ないだけを強調する者、主よ、主よと呼びながら、御言葉を行なっている
つもりでも、神の御心を行なわず、自分の心(考え)を行なっている者に対して、イエスは仰
せられた。

★新訳聖書 マタイによる福音書 7;21
   わたしに向かって『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天にお
   られる わたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。

●西暦2000年に国連主導で千人以上のあらゆる宗教の教職者が集まり、「宗教の一致」の
為に会合が開かれたが、このような惑わしに偽善的な人々、罪に陥って目がくらまされている
人々は、惑わされて加担していく。 しかし、彼らの最後は聖書が言っているように滅びである。 
じきに、世界的な宗教上の惑わしが来るであろう。 多くの人々が偽りを選ぶようになる。 そ
の時、世論は巧妙に扇動されるだろう。 広い道は仲間が多く、たやすいゆえ、行きやすいの
である。

例えば「罪もないアフガニスタンへの空爆」は、国連主導の偽りにより、世界的な成功を収めた。
どこの国も、我先に、この偽りに加担し、罪なき人の血を流すことに賛同した。 同じことが、宗
教的な面でも起きるようになるだろう。 国連主導の偽りが起きると思われる。 この時、罪の
ない人々の血を流すことに賛同するかどうかは、終末の日の人々の上に、永遠の区分を与える
ことになる。 終末の日に、多くの人々がこの道、広い道へと入り込み、国連主導の世界統一
宗教に賛同し、「一致」「全ての宗教間の争いをなくす」などと、もっともらしい題目を唱え始めた
としても、そのような道へ入り込むことがないようにすべきである。 

★旧約聖書 箴言 3;6
   あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。 そうすれば、主はあなたの道をまっすぐに
   される。

2千年前、この地上で、イエスは主の道を歩いておられた。(マタイ9;9 マルコ2;14) その
時、マタイは、主の道筋にいた。 そして主は、マタイを見られて、「わたしについて来なさい。」
と言われた。 その後、マタイはずっとイエスに従って行き、神の祝福と恵みを頂いた。 
我々も主を求め、主の道を求めて、イエスに声をかけて頂きたいものだ。 そして、神の祝福と
恵みとに預かって、滅びへと向かわす惑わしからも守られたいものである。