めんどり通信/2004年 前半
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★新約聖書 ヨハネによる福音書14;6
イエスは彼に言われた「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」
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キリスト教、キリスト教と言ってもみな同じではない。 よく知られているカトリックとプロテス
タント。 今回は簡単にカトリックを取り上げてみる。 カトリックの
言葉の意味は『一般的』『普
遍的』。しかし、実質、カトリック教会とローマ・カト リック教会は違う。
ペンテコステの日(主イ
エスが十字架上で我々の罪の為に死な れ、よみがえられた後、40日間弟子達の前に現れ、
オリーブ山から天に挙げられて
10日経った日)、主の弟子達が、聖霊の充満を経験すること
によって、力強く、福音
宣教を開始した。 ここに教会(会堂ではない)が誕生した。
これを初代教会、又
は原始教会と呼ぶ。 教会は短い期間で、律法の権威者、解釈者であ
り祭司であるユ
ダヤ人たちの立場を脅かしてしまう存在となるまでに成長した。 宗教指導者
たち
が、自分の立場、権威の失墜を恐れるようになり、政治的な影響として取り上げられる
ほどの問題になってきた。 そしてキリスト教会に対する迫害が起こった。 使途
達は 迫害
をはねつけるかのように、諸外国に出ていって、福音宣教を開始した。 その結果、諸教会が
誕生することになった。 福音宣教の進展
により、ますます迫害が激しくなっていった。 ロー
マ帝国による教会への迫害は約 250年続いた。
このような中で、当時のローマ皇帝コンスタンティヌス帝が313年に
ミラノの寛容令を発布し
迫害は終焉を迎えた。 こうしてキリスト教会が国教となっ
た。 そしてローマ帝国が敵対視
していたキリスト教会が帝国の保護の中に入った。
カトリック教会はローマ・カトリック教会
への道を進んでいき、宗教改革が起こる
間に腐敗の歴史をたどっていった。 このようにカト
リック教会とローマ・カトリッ ク教会は違う。
1500年代、マルチン・ルターが腐敗したローマ・カトリック教会を
本来のカトリック教会に戻そ
うと立ち上がった。 彼は、ローマ・カトリック教会に プロテスト(反抗、抗議する)したのでは
ない。
宗教改革の火種はローマ・カトリ ック教会にあり、この火種に火をつけたのはルターで
あり、本来、この火を大きくし
たのがルターの周辺の人々だった。
長い腐敗の歴史の中ではあったが、今、ロー
マ・カトリック教会は10億人もいる。 しかし彼
等は マリヤを神として崇拝し、聖人を拝み、聖書よりローマ法皇をたて、ローマ法
皇は決し
て誤りを犯さないと言い、マリヤとキリストは共同のあがない主と言ってい
る。 ローマ・カトリ
ック教会は甚だ変質してしまった。 神が忌み嫌われる存在と なってしまった。
ローマ・カトリック教会の人々が崇拝しているマザー・テレサの
手紙が見つかった。 彼女は
近しい神父に自分は神に救われていない、自分と神との
間には深い広い隔たりがある、と
苦しみの手紙を書いていた。 彼女は天の父なる神
は信じると言い様々な奉仕をしていた
が、主イエス・キリストを救い主として受け入 れていなかった。
だから真の救いを獲得でき
ていなかったのである。 真の天国 (御国)への道は ひとつだけである。 主のお言葉通り、
ただ主イエス・キリスト
様だけである。