めんどり通信/2004年9月26日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!
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★新約聖書 コロサイ人への手紙 4:16
キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして
互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心
から神に向かって歌いなさい。
★創世記 2;18
その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは
彼のために、ふさわしい助けてを造ろう。
●神ご自身が人となられた。 われわれが神を心に思い浮かべようとする時、どんな人格を考
えればよいかを、具体的に決定的に、手で触れることの出来る形で人類に示された。
神はイエスのような方である。 イエスは、人の形をとられた神であった。
そして、現在の我々は、2千年前の人々のように、イエスの姿をこの目(肉眼)で、見ることは
出来ないが、しかし、確実に、実際に生きておられる証拠として、イエスを真に 信じる者に
助け主なる聖霊を送って下さる。 聖霊(神とイエスの御霊)は、聖書という神のことばにより、
神が実際に生きておられることを我々に示して下さる。 神の言葉が我々の上に成就する時
、我々は 神のご臨在を実感的に知ることが出来るであろう。
イエスは、この地上に来られた時、ご自身がこの地上を去って、天に行かれることを弟子たち
に話したが、弟子達は理解できなかった。 イエスが、場所を備えに父のところへ行き、場所を
備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます(ヨハネ14:3)と言われても、当時の
弟子達には理解できなかった。 主はそれをよくご存知だった。だから「助け主、すなわち聖
霊が あなたがたに話したすべてのことを教え、また、わたしが あなたがたに話したすべて
のことを 思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:26)と弟子達に言われたのだ。
今日、イエスは 天におられる。 今は、主のお姿を この目で見ることはできないが、神は
、確かに 真に 主イエスを信じる者と共におられる。 神とイエスの御霊(聖霊)が、イエス
は 我が罪のため 十字架で死なれ、3日目によみがえられて 今も生きておられ、私
の救い主、神であると信じ、主の御言葉に従っている者達(従おうと日々、主に心を向けて
いる者たち)の内に おられる。
クリスチャン人生というものは、何とも難しく、自分では とても解決できないような多くの
難問を通るものだと思う。 クリスチャン人生は 一人では とても まともに やっていけない
ものだ。 そして 神も この歩みを一人で歩くように 決して命じておられない。 「助け手」の
ない歩みは 神の道から 遠ざかる危険性がある。 いや 反対に進む可能性がある。
どのような時、環境でも、聖霊の助けは不変である。 聖霊が 我々が、主に 真剣に求める
と、その神の御言葉を成就してくださる。 我々は 最大で最良の助けを得ることができる
のである。
神が アダムを造られた時、「ふさわしい助けてを造ろう」と言われ、エバを造られたが、この
言葉は、創世記2章では、アダムに関する言葉だが、それは全く、すべてのアダムの子孫、
また この世で主に仕えていこうとするすべての男女に対する 言葉ではないだろうか。
「助け手」であられるお方は、我々の状況、生活、環境がどうであろうと どのように変わろうと
、しかし、どのような時でも、常に、我々の「ふさわしい助け手」である。
我々のクリスチャン人生(その人の歩み)が成功するかどうか、正しい道に歩めるかどうかは、
この「助け手」にかかっている。 我々は、「助け手」の助けを得るために、神の言葉を
我々の内に 豊かに住まわせていきたいものだ。
そのためにも ますます 神の御心を知るために、聖書を読み、素直に主に祈り求めていきたいものだ。