めんどり通信/2004年8月15日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!
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★新約聖書 ヨハネによる福音書 14:6
イエスは言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。…」
●聖書は、神の道について 様々なかたちで語っているが、一貫して書かれていることは、
その道が、わかりづらい、見いだし難いということである。 イエスの弟子トマスは「その
道は、どのようにして我々は知ることができるのでしょう。」(ヨハネ14:5)とイエスに尋ねた。
マタイ7:14で、主は、この“神の道”に関して言われた。
「命に至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者は まれである。」と。
しかし、「わたしが道であり、真理であり、いのちである」と仰せられる主イエスに尋ねていくな
ら、必ず、私たちは、神の道(正しい道)に至ることができる。 この神の道は、進んで行く
時に、閉ざされて進むことができないこともある。 その時、主は、何かを教えようとしてお
られたり、また、「これこそ、神の道、正しい道」と思い込んで、間違って進んでいることもあ
り得る。 しかし、我々が主に求め尋ねるなら、閉ざされた道を開くことができるのは主で
あり、正しい道に、我々を戻して下さるのも、主イエスである。 我々がすべきことは、主
イエスに、求め尋ねることである。 道には、人の道と神の道があるが、クリスチャンにも
群衆と弟子がいる。
聖書を見ると、群衆として歩むより、弟子として歩む中に聖書が本来、語っているクリスチ
ャンの祝福と恵みに至る道がある。 また、神の道でない人の道に関して、聖書には次の
ような言葉をもって語られている。
★旧約聖書 箴言 14:2
人の目には まっすぐな見える道がある。その 道の終わりは死の道である。
★旧約聖書 箴言 16:9
人は心に自分の道を思い巡らす しかし その人の歩みを確かなものにするのは
主である。
●我々は、神の道を選択し、進んでいきたいものだ。 それは、命に至る道であるからだ。
その為、主イエスを信じ、主に求め尋ねていきたいものだ。
★イスラエルの風習と日本の古来の風習シリーズ・・続き
【年中行事(お盆・解放の祭り)】
日本:8月15日には、解放の祭りとして、神社で行われる地区がある。(単一民族で永い間
他国と交流の無い日本で、なぜ解放の祭りがあるのかは不明) お盆の発祥と考えら
れている仏教には、元々、先祖を祭るという事は無く、日本で独自に取り込まれた風
習。お盆自体は、その時期になると、ご先祖様が帰ってきて、この時期だけは子孫と
一緒に食事や団らんを共にすると考えられている。
ユダヤ:上記仮庵の季節に、彼等の祖先達、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ダビデな
どが、食事を子孫と共にする為に訪れると考えられているお盆自体は、その時期にな
ると、ご先祖様が帰ってきて、この時期だけは 食事を子孫と共にする為に訪れると考
えられている。