めんどり通信/2004年7月4日。主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ!
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★新約聖書 黙示録 5:5
すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出た
しし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻物を開いて、七つの封印を解くことができ
ます。」
●上記の御言葉では、ユダ族の獅子、ダビデの根について書かれている。これは、ユダ族
から出たイエス・キリストに関する預言だが、もうひとつの意味あいは、終末におけるユダ
族、すなわちイスラエル12部族の中のユダ族の働きに関する預言と言えると思われる。
この12部族は、旧約聖書に出てくるヤコブの息子12人が始祖である。
約3900年前、ヤコブの息子12人は、全体としては、神に選ばれたメシヤ(キリスト=救い主)
的
民族である12部族の始祖となり、救い主をこの世界にもたらすために神に受け入れられ
た。 ヤコブは、一夫多妻で、信用を落とすような、数々の欠陥があったにも関わらず、神
は、目的達成のために、人類をあるがままに用い、用いようとするものを最善に働かせられた。
12部族の内、10部族は北のイスラエル王国で、アッシリアに捕囚となり、その後、歴史から
消えてしまい、『失われた10部族』と言われている。 「失われた部族調査機構」という組織
などもあり、多くの研究者が調査しているという。
彼等が中国、韓国、そして日本にまで至ったのではないかと述べている。 それらの説には
それなりに説得力のあるものであり、確かに聖書に記されているイスラエルの風習と日本の古
来の習慣、言語などは、よく似ているところがある。 今後、少しずつ紹介していくことにしよう。
さて、南のユダ王国(2部族、内ひとつはユダ族)は、バビロンに捕囚された。 その後、エル
サレムへ帰還したが、その数は、バビロン捕囚時の約10分の1と言われている。 他10分
の9は、ペルシャなどに住みついたり、他へ行って、調査の対象となっていると言う。 やは
り、中国、韓国、そして日本にまで、たどり着いた可能性はある。 このユダ族は、聖書の中で
特別な存在であり、特徴がある。
1)エルサレム(平和の基の意味)の都はユダにあった。
2)神の神殿もユダにあった。…歴代誌第二32:12
3)神の契約の箱もユダにあった。
4)ダビデ王を起点とした王族もユダ族に属する…創世記49:10
5)ユダ族の特徴、シンボルは獅子である…創世記49:9
6)ユダ族は12部族の中で戦いの先陣を切る民である。 イスラエル12部
族が戦いに出る時、常にユダ族が戦いの先陣を飾る…士師記1:2
7)他の兄弟、すなわち他の11部族にまさるものとなる。…歴代誌第一5:2
以上が聖書から見えるユダ族の特徴だが、これら全ての特徴を満たす国、民族が日本であ
り、日本人であるらしい。
理由を上記の順番に対応して、列挙してみる。
1)日本の都、たとえば、平安京という名前自体がエルサレム(平安の基)とのことばと似て
いる。 また、明日香京の明日香とは、韓国語の「平安」という言葉。 藤原京の門はエゼキ
エル書に示された神の都のように12ある。
2)日本の神社の構造は、世界で唯一イスラエルの神殿の構造に似ている。
3)日本の祭りに現れる「神輿」こそ、聖書に記されている神の契約の箱そっくりの構造である。
日本の神輿は聖書の契約の箱のように川を渡る。
4)ダビデ王を起点とした王族もユダ族に属する。 6月20日のめんどり通信で記した通りである。
5)ユダ族の特徴、シンボルは獅子である。 日本の神社のシンボル、象徴は狛犬こと、獅子の
像である。 狛犬には、シルクロードを経て伝えられた中近東の影響がそのまま具象化している。
狛犬のことを日本では、獅子と呼び、めでたい正月には獅子舞がもてはやされる。
6)不思議なことにこの日本は小さな国に関わらす、戦いにたけき民である。 神風が吹き、
世界随一の大国の大群を二度にわたり撃退した元こう。 日清日露戦争など、日本には神
がかり的な戦争の勝利がある。 戦争がいいとは言わないが、第二次世界対戦前、すな
わち、アジア、アフリカのほとんどの国が欧米の植民地となっていた時、敢然として、これ
らのアジアの同胞、同族の解放を目指し「大東亜共栄圏」を目指し、列強に戦いを挑んだ
のが日本である。 この日本の進軍、勝利により、アジアのシンガポール、インドネシア等、
白人に支配されていた国々は独立を果たした。
7)日本がアジア諸国の中で、工業、商業、科学等の面において飛び抜けた先進国。
以上の理由により、日本人の祖先は、聖書の約束の民であるユダ族の可能性が強いと
言える。 そうすると聖書の中の様々な約束は、霊的子孫というだけでなく、血筋肉的(直
系)的にも、私たちのものである。 なんとスゴイことか! ただ同時に、聖書に記されている
警告も直接的である。 だから我々は、神の祝福と恵みを受ける為に 御言葉を知り、御心
を知っていきたいものだ。