めんどり通信/2004年7月25日、主が復活された記念すべき日です! ハレルヤ(ヤハウェ=主をほめよ)!
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★新約聖書 マタイによる福音書 24:32,33
いちじくの木から、たとえを学びなさい。 枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の
近いことがわかります。 そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、
人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。
●キリスト教会では、昔から、聖書の御言葉は、言葉(字句)通りに受け取りなさい、と言わ
れてきた。 牧師や教師たちが、そのように教えてきた教会がほとんどであろう。
私もそう教えられてきた。 確かに、その言葉(字句)通りに受け取らなければならない
箇所も多いが、しかし、聖書は、たとえとして書かれている部分が多いのである。
聖書には、二重の意味あいをもつ部分が多い。
マタイ13:34節に 「イエスは、これらのことをみな、たとえで群衆に話され、た
とえを使わずには、何もお話しにならなかった。」と記されている。
また、「このたとえがわからないのですか。そんなことで、いったい、どうして
たとえの理解ができるでしょう。 マルコ4;2」と主イエスは、たとえを理解する
ことの重要性を言っておられる。
この二重の意味あいを悟ることが、神の言わんとしておられる、御心を知ることであり、
様々な惑わしから守られることでもある。 我々、人が神のところに立ち戻り、神と
共に歩むことを、神の方が、望んでおられる。
新約聖書、第一テモテ2:4で「神は、すべての人が救われて、真理を知るよう
になるのを望んでおられます。」と記されている通りである。
「すべての人」という時に、神は特に、ご自分が召しておられる「選民」に、・われみの目を注
いでおられる。 我々、日本には特に、神は特別な目を注いで下さっておられるのであ
る。 長い間、日本は、真の神から離れていたが、ようやく、日本が、神のもとに立ち戻る
時が、近づいてきたのである。 なぜなら、「人の子(キリスト)が戸口まで近づいている」
からである。
主の民が、主とお会いして、永遠の神の御心の国が、始まる時が近いということである。
その前に、日本の民(すべての人ではないが)が、真の神に立ち戻ると思われる。 そして、
黙示録やエゼキエル書やマタイなど、聖書のあらゆるところにに記されている大患難時代が
来て、主が、再臨され、御心にかなう者に、永遠の命を、実際に与えて下さるであろう。
目を覚ましていたいものだ。
★イスラエルの風習と日本の古来の風習シリーズ
【亜麻布の着物とみそぎ】
日本:神道の神主は、亜麻布の着物を着て独特の帽子をかぶり、川などに
浸かってみそぎを行う。
ユダヤ:「聖なる亜麻布の長服を着、亜麻布の帯を締め、亜麻布のかぶり
物をかぶらなければならない。 これが聖なる装束であって、彼らは、から
だに水を浴び、それらを気付ける(旧約聖書レビ記16:4)」
【聖地ははだしで】
日本:昭和天皇の即位式を記録した着物には、天照大神の御前にご報告
をするという準備儀式の時にそぎを受けて、はだしのまま聖所に向かった
とされている。 「はだしで立つ」という表現が見られる。
ユダヤ:「貴方の足の靴を脱げ、貴方の立っている場所は、聖なる地である。
(出エジプト記3;5) 「主の軍の将はヨシュアに言った。『貴方の足のはきもの
を脱げ。 貴方の立っている場所は聖なる地である。』」ヨシュア記5;5