めんどり通信/2004年 5月2日 日曜日 今日は主の復活の記念すべき日曜日です(^o^)

★新約聖書  ローマ人の手紙 6章26節
   『人はたとい全世界を手に入れても まことのいのちを損じたら、何の得がありま しょう。
   そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。』

●世界中のあちらこちらで、様々な戦闘が行われているが、日本は相変わらず、 平穏無事
に過ごしているように思われる。 日本にも危機が迫っているなどと、人々は真剣 に 考える
ことができないほど、テレビをつければ、娯楽番組であふれている。 それらは、 様々 な趣
向を凝らして、人々の目を釘付けにしている。 ちまたでは「将来、年金がもらえる か、 もら
えないか」「給料が多いか少ないか」などと自分達の生活のことだけを思い、国が今後ど 
うなるのか、世の中がどう変わっていくのか、我々はどうあるべきかなど、そんな話し は、
あまり聞かれない。

今や人生80年と言われるが、医学の発達により85年90年と長生きをする人が多くなってき
た。 しかし、長生きしたと言っても、百歳まで生きられる人はどれ ほ どいるだろうか。 

また、大人となり働き盛りと言われる時代は、どれほどあるだろうか。 10 年 20年は、
あっという間に過ぎていく。 多くの人は、その限られた地上人生の中で、無意識 のうちに
人として、正しく生きようと心がけ、人様に後ろ指を指されるようなことは、極 力、避けて、
できるだけ道徳的に生きていこうとする。 いっしょうけんめい働いて、お金も貯 め る。

また、時には豪快に使ってみる。そんなこんなの繰り返しの中で、時だけが過ぎてい く。
 まさか、普通通り過ごしている自分が、罪人であるなどと考えることもあまりないであろ
う。 まさか、自分の良心が、世の悪の影響を受けて、徐々にマヒしているなんてことも
考えな いであろう。 

しかし、確実に世は、聖書に書かれているとおりに悪くなっている。 それに 伴 い、人間
の良心もマヒしてきている。 こんな地上生活が、すべてと考えるのは、あまりに も 空しい。

聖書に
『人間には一度死ぬことと、さばきを受けることが定まっている…』と記 さ れている。
ということは、人間には死後に行くべきところがある、ということである。 新約聖書に登場
するパウロは、キリストの十字架の死と復活を信じた。 そして、真のクリスチャ ンは、キリ
ストにあってよみがえって、いのち(神の永遠のいのち)を受けることを知っ た。

『聞きなさい。 私はあなたがたに奥義を告げましょう。 私たちがみな眠ってしまうのでは
な く、みな変えられるのです。 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラ
ッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
第一コリント 15:51,52』

この地上生活がすべてではない。 だから、パウロをはじめ、過去の殉教した真のク リス
チャンたちは、キリストへの信仰に、命をかけれたのである。 

『もし、死者がよみが え らないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。 そして、
もしキリストがよみがえ ら なかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは
今もなお、自分の罪の中にいる のです。 そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、
滅んでしまったのです。 も し、 私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いて
いるだけなら、私たちは、すべての人 の 中で一番哀れな者です。 
第一コリント15:16〜19』

かの日に、正しい審判者である主に、義の栄冠を授けられ、永遠に主と共に生きることを
パウロたちは目指した。目標が、神の国、 天の御国
だったのである。
我々も、そこを目指して、歩んでいきたいものだ。