めんどり通信/2004年3月11日 木曜日
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★旧約聖書ゼカリヤ書1:3
あなたは、彼らに言え。 万軍の主はこう仰せられる。 わたしに帰れ。−−
そうすれば、わたしもあなたがたに帰る、と万軍の主は仰せられる。
★旧約聖書 創世記11章
●創世記は天地創造の他、歴史的事実が書かれているが、
創世記の出来事は、世の終わ
りのことと関係している。【創世記11:1〜3さて、全地 は一つのことば、一つの話しことばであ
った。そのころ、人々は東のほうから移動し
て来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定
住した。 彼等は互いに言った。 「さ
あ、れんがを作ってよく焼こう。」彼等は石の代わりにれ
んがを用い、粘土の代わり
にアスファルトを用いた。】このシヌアルの地には、有名なバベル
の塔があった。 バビロンもここにあった。ここの出来事は悪い例である。 バベルの塔は、人
がひとつに
なって神に反逆した結果、作られたものである。『一つの話しことぱ』ここに神の御
旨はない。
現代、世界においても、一つになることが、早いスピードで進められてい る。 国連、宗教、
文化、経済、教会… しかし、これらの『一つになること』ここに
神の御旨はない。 キリストの
からだであると言われる神の家(教会)は、基本的に岩 (キリスト,マタイ16:18)の上に石(クリ
スチャン,第一ペテロ2:5)によって、できる。 しかし、シヌアルの地で、石の代わりに神から
のものでない、れんがを用いている。 また、粘土の代わりにアスファルトを用いてい る。石
に、粘土(第二コリント4:7)に神の御心がある。
一つになることについて
は、主イエスがこう言われた。 「父よ、あなたがたがわたしにおら
れ、わたしがあな
たにいるように、彼等がみな一つとなるためです。」
神が言われる一つとは、キリス
トにあってのことである。サタンは人を欺くために、光の御使
いに変装する。 だから
サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても格別なことはな
い。 マリヤは神格
化され、キリストと同じように生まれながら罪がなく、キリストと共に『あ
がない主』というような偽りを悔い改めもしないローマ・カトリックと『エキュメニカルな
一致』
を推進しているプロテスタントの指導者たちは、主は盗人と言って非難している。
世界で進められている様々な『一つになろう』は吟味されなければならないもの
が多い。
今やキリスト教だから大丈夫ということはない。 吟味が必要なのである。 何
事におい
てもだ。 私たちは宗教に帰るのでもなく、世の組織に帰るのでもなく、真に聖書に帰り、
主イエス・キリストに帰るのである。神がそう言われる。