めんどり通信/2004年12月19日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!
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★新約聖書 第一ヨハネ4:1,2
愛する者たち。 霊だからといって、みな信じてはいけません。 それらの霊が神からのも
のかどうかを、ためしなさい。 なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。
人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。 それによって
神からの霊を知りなさい。
★新約聖書 コロサイの手紙 2;10
・・・キリストはすべての支配と権威のかしらです。
●世の中、不穏な事件が次々と報道され、ますます世が悪くなったということを人々の間で聞
かれるようになった。 人間の知恵では理解しがたい出来事が多く、不気味な世の中になった
ものだ。 しかし、聖書の中では昔から預言されていることでもある。 世の終わりになれば、
罪が増し加わり、罪を足場として活躍する悪魔、悪霊の働きが盛んになる。 実に悲しむべき
時代となってしまった。 今の時代、教会でもあまり悪霊のことを言わないようである。 ハリー
ポッター、まじない、占い、等等は皆、悪霊の支配下にあるのだが、楽しみの一つ、またすば
らしいもののように、生活の中に入りこんでいる。 キリスト教会でもハリーポッターを良いもの
として子どもたちに勧めているところがあるらしいが、恐ろしいことである。 聖書を読むと、悪
魔、悪霊は人類の最初から、もうすでに働いている。 エデンの園で蛇(サタンの象徴)がエ
バを誘惑したとき、エバは警戒しなかった。 蛇が悪魔には見えなかったのであろうか!?
★新約聖書 第二コリント 11;13、14、15
こういう者たち、にせ使途であり、人を欺く働き人であって、キリストの使途に変装してい
るのです。 しかし、驚くには及びません。 サタンさえ光の御使いに変装するのです。
ですから、サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。
彼らの最後はそのしわざにふさわしいものとなります。
●人間は何らかの霊の影響下にあることに、案外、皆気づいていない。 たとえ、クリスチャン
でも悪霊の影響がある。 だから、終末に生きるクリスチャンは、しかと心得ておかなければな
らないことがある。 それは、キリスト教会の中に偽キリスト、反キリストまた偽預言者が現れ
てくること、その危険性は大いにあり、それにだまされる人が多いということである。 終末の
日とは、・りとあらゆる事柄に関して偽りが横行する日である。
@真のリバイバルの代わりに→偽りのリバイバルがある。
A真のイスラエル12部族の「日の上がる方」すなわち、東の地における聖霊の印、すなわち
聖霊により回復という代わりに→悪魔的な民族によるイスラエル建国。 またパレスナチ人虐
殺がある。
B真の福音伝道の代わりに→獣の国アメリカの他国侵略と連動した世界宣教、世界の国の
民主化、キリスト教化がある。
※今後ますます、キリスト教は世界で盛んになるだろう。
C真の使途、預言者の代わりに→偽使途、偽預言者がたつ。
D真の啓示の代わりに→第3波系の預言者、カンザスシティの偽預言者をはじめとする人々
による偽りの啓示が横行するだろう。
Eキリストの再臨の代わりに→偽りの再臨の教理を声高に叫ぶ人々が来るだろう。
終末の日は、黙示録6章の4つの馬の内、白い馬の勝利は「福音の大勝利の時代」が来る
ことを あらわしているように思えるので、キリスト教はますます盛んになり、大いに宣伝され、
大いに人々が教会に来るようになるだろう。 しかし問題は、Nリスチャン、教会の数は増える
ものの、その質、実質は変質し、正しい教理も偽りの教理も見抜けず、本物の預言者も偽預
言者も見抜けず、多くの人が偽預言者に従って行くという、それが問題である。 その行く着く
ところは滅びなのである。
★新約聖書 マタイによる福音書 28;18〜20
イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、
いっさいの権威が与えられています。 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の
人々を弟子としなさい。 そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、
わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。
見よ。 わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。
●だから我々は、いっさいの権威を持っておられる主イエスの勝利に預かっていく必要があ
る。 祈りがなくては勝利することができない。 祈りがなくては力を得ることができない。
様々な偽りや惑わしから免れるよう、真実で唯一の主イエスに祈っていきたいものだ。 主
イエス・キリストは生きておられるから、我々を解放することができる。 我々を救うことがで
きる方である。 その主イエス・キリストを真に信じて、神の祝福と恵みの中に入りたいもの
である。