めんどり通信/2004年12月12日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ

★旧約聖書 ミカ書 6:8
   主はあなたに告げられた。 人よ。 何が良いことなのか。 主は何をあなたに求めてお
   られるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに
   歩むことではないか。
   
★新約聖書 ヨハネによる福音書ミカ書 6:27
   なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働き
   なさい。 それこそ、人の子が あなたがたに与えるものです。

●旧約聖書の中に、救い主をこの世界にもたらすために神に受け入れられ、イスラエル12
部族の始祖となったヤコブのことが記されている。 ヤコブの子らの内、ヨセフは 父から え
こひいきされ兄たちから ねたまれていた。 どうもヤコブが、11番目の子であるヨセフに、
家督を継がせようとしていたらしい。 そんな中、兄たちは、ヨセフを殺そうとまで考えたが、
殺さずに、イシュマエル人と呼ばれる人々に売った。 それからヨセフはエジプトに売られたが
神のご計画で、エジプトの宰相(大臣)となった。 その頃、激しいききんが全世界にきた。
エジプトでは、ヨセフがエジプト王パロの夢と夢の解き明かしを神から教えられた言葉により、
飢きんが来る前の7年の大豊作の時に、穀物を蓄え、保管していた。 飢きんは相当に厳しく、
世界中が備えのあったエジプトのヨセフのところに穀物を買いに来た。 そのとき、感動的な
ヨセフとヤコブと兄たちとの出会いを、神は用意された。 ヤコブの家族70人は、まだ飢きん
が5年続くというので、ヨセフのもとに来た。 

ヤコブは年をとったので、ヨセフに、自分をエジプトに葬ってくれるな、先祖たちの墓(ヘブロン、
イスラエル)に葬ってくれ、と言った。 日本人もどこの墓に入るか、ということに こだわるが、
ヤコブもどこに墓をもつか、どこの墓に入るか、にこだわった。 このエジプトは、聖書では こ
の世(罪のはかないこの世)をあらわす。 ヤコブは エジプトの地で暮らすことには こだわら
なかったが、墓には こだわった。 

墓、墓石というのは、一つの区切り、死後の世界の入り口である。 これらの向こうには、死後
の世界がある。  ヤコブは、エジプト(この世)では 旅人、寄留者として生きていたから、生
きている間は、ある意味で どうでもよかった。 要は こだわらなかった。 しかし、死んだ後、
どういったところに行くか! ヤコブは ここに こだわった。 

亡くなったとき、どこへ行くのか。 墓の向こうには、必ず後の世界がある。 このことは、以前
のめんどり通信でも記したように、NHK放送による、死後の霊魂の存続が認められたという
死体験レポート
でも認証済である。 聖書は、後の世界(死後の世界)について大きなポイント
を置いている。 真のクリスチャンは ここに もっとこだわるべきである。

★新約聖書 ローマ人への手紙 6:2
   ・・・罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。

★新約聖書 第二テモテ 2:11
   次のことばは信頼すべきことばです。「もし私たちが、彼(キリスト)とともに死んだのなら、
   彼とともに生きるようになる。」

カナンでのヤコブの葬儀はエジプトの王パロの家臣たちやパロの家の長老たち他、偉い人た
ちが参列した。 その葬儀は非常に荘厳な立派なものだった。 このことによっても聖書は、
真のクリスチャンは、この世の中に生きてはいるが、この世に対して死んだ者であるから、
罪に対しては死んだ者として歩むように語っている。 また、このように歩むことがクリスチャン
の歩みのポイントである。 イエスを信じているから、私はクリスチャン(=キリストにある者)と
言っても、その歩みが このはかない罪の世、エジプトに染まった歩みをしているならば、人
からはクリスチャンと見なされても、神は、クリスチャンとは見なされないであろう。 このことの
ゆえに、主は仰せられた。

★新訳聖書 マタイによる福音書7;21
   「わたしに向かって『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天にお
   られる わたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。」

我々は 墓(永遠)にこだわるべきである。 永遠の御国に足場をつけた生き方、歩み方をする
ことが、真のクリスチャンである。 天には復活された主イエスが、父の右に座しておられる。
そこを足場にするのである。 そして、この世は、聖霊に導かれて旅人として、また罪に対して
死んだ者として歩むのである。 これがクリスチャンの歩みのポイントである。 聖霊に導かれ
ながら歩んでいても、この世では どうしても足が汚れる。 だから、主イエスはペテロの足を
洗ってみせて、あなたがたも互いに足を洗い合うべきですと仰せられた。 

さて、ヨセフもまた、エジプトの地を受け継ぐことを拒み、カナンの地へ行くこと、そこで葬られる
ことにこだわった。 神が我々に 受け継がせたいのは、天の御国なのである。 我々は(霊的
に)、エジプトに墓をもつと、エジプトと同じ運命になる。

★新訳聖書 第一ヨハネ2:17
   世と世の欲は滅び去ります。 しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえ
   ます。

まだ先のこととはいえ、形や形式ではなく、我々は神から見られたクリスチャンとして葬られた
いものである。 そして後の世でもキリストのあがないに入りたいものである。 その為にも、
日々の歩みに気をつけたいものである。