めんどり通信/2004年10月3日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ

★新約聖書 マタイによる福音書 7章13節、14節
 
 狭い門からはいりなさい。 滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。 
  そして、そこからはいって行く者が多いのです。 
  いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見出す者」はまれです。

★新約聖書 ローマ人への手紙 13章11節
  ・なたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行いなさい。
  あなたがたが眠りからさめるべき時刻が もう来ています。 というのは、私たちが
  信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。

●四福音書(新約聖書の最初の4つ。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる福音書)には、神がキリ
ストについて 知らせようとした事柄のすべてが含まれていると言っても過言ではない。 それを
知るためには、人間の知恵は無用であり、聖霊によってでなければ解釈できないとペテロやヨハ
ネの手紙に記されている。 四福音書には、イエス・キリストが公にキリスト(救い主)として、この
地上で歩まれた3年半に起きた事柄が中心に書かれているが、この3年半は、終末の大艱難時代
の予表でもあることを覚えてほしい。 

神には ご計画(経綸)があり、それらは聖書に記されている。 神のことばは、一字一句 すたれ
ることなく、全てが成就される。 今まで成就された みことばは、歴史の事実やその後の考古学
者たちの発見や歴史学者の歴史の再検討による実証などと符号してみれば、いかに聖書のみこと
ば(預言)は、真実で実際であるかがわかる。 聖書のみことばは、表と裏(モーセの十戒の石の
板)、つまり 第一義的な意味合いと第二義的な意味合いがある。 この第二義的な方に、神から
の語りかけがある。 これは、神から与えられるものであって、人間の知恵でわかるものではない。 
主キリストが、教えて下さるから わかるのである。 そこには、むしろ人間の知恵は無用の長物で
ある。 こうして見ていくと、聖書の中には、今までのことは さりながら、終末に焦点をあてて語ら
れていることが多い。 

マタイの26章45節からは、背教のクライマックスが書かれているが、背教(キリストから離れるこ
と)は、弟子が休んで眠りこんでいるときに起こる。 眠るというのは、罪が蔓延しているという意味
がある。 当時、ユダは、信仰熱心だったが、結局、イエスを裏切った。 これらの箇所から、第二
義的な意味合いをみれば、2千年前に、単に 弟子たちが眠っていたわけでも、ユダ一人がイエス
を裏切ったということだけを、神は言っておられるのではない。 終末に、キリスト教会、特に、プロ
テスタント全体が、背教にはいっていくから、全体が流されていくから、だから、目をさまして、つ
まり、罪から離れて、みことばの中にとどまれ!と語っておられるのである。

カトリックは、もうとっくに、背教の道をたどってきたし、これからも、ますます背教の道を進んでいく
だろう。 マリヤ崇拝をしたり、欧米の多くの神父たちは、様々な罪で、多くの人々から、訴えられ
たりという実情である。 また、マザーテレサのように、世では、すばらしいとほめたたえられ、カト
リックの中でも聖人として あがめられている人が、実は、自分は神との間に溝があり、自分は
救われていないと知人の神父に手紙を出す有様である。

しかし、プロテスタントは大丈夫かと思えば、聖書のみことばと現状から、プロテスタントと言えども
安心はできなくなってきた。 実際、プロテスタントの多くのキリスト教会の変質は、始まってしまっ
ている。 教会も見分けなくてはならない時代になってきた。 
我々は、みことばに従っていかなければならない!

2千年前、当時の祭司長や、律法学者や長老たちが、群集をイエスに手向かわせたように、終末
は、プロテスタントの指導者たちが、みことばに群集を手向かわせることが起きる可能性は強い。
なぜなら、聖書がそう言っているからである。

今のキリスト教会では、命の門は広い、と言っている。 また、セカンドチャンス(地上で救われな
くても、死んだ後、もう一度救われるチャンスがあるという教え)を打ち出している。 また、イエス
が復活したのは、当時の民衆が思い込んだ、そう思ったなどと教える神学校まである。 明らかに
、みことばに逆らっている。 

みことばは、はっきり言っている。 永遠の命への門は狭いと。
もうすぐ、世界は、政治も社会も時代も、大収穫の時が来る。 しかし、その後、すぐに必ず、
大艱難時代が来る! そして 主の再臨があり、さばきの日が来ると、みことばは語っている。
その時、真に主につく者たちにとっては、永遠の安息が待っているのだが、そうでない者たちに
とっては、悲惨な日になるのである。

キリスト教会は、信者の数を増やすことに躍起になって、神のご計画から 人々の目をそらして
いる。 これこそ クリスチャンにとって大きな罪である。 人は、知らねばならない。 今の時代
が、永遠に続くものではないということを。 神が用意された永遠があるのである。 
永遠の御国(天国)と永遠の火の池(地獄)がある。 我々は、目を覚まして、永遠の祝福を選び
たいものだ。

★旧約聖書 申命記 30章19節
 私(神)は、きょう、あなたがたに対して 天と地とを証人に立てる。 私は、いのちと死、
 祝福とのろいを、あなたの前に置く。 あなたは、いのちを選びなさい。

※お願い:「めんどり通信」を送信、もしくは手渡せる方がおられましたら、ご紹介ください。