めんどり通信/2004年1月21日 水曜日

★旧約聖書 箴言16:20
    みことばに心を留める者は幸いを見つける。主により頼む者は幸いである。

創世記3章参照


●今の世の中、様々な商売がある。 その中には良心的なものとは、かけ離れ、明らかに
人をだまし、惑わして、利をむさぼろうとしているものも多い。 しかし、表面的には決して 
そのような そぶりを見せない。 また一方的に、誘惑を送りつけて、後から多額の請求がく
るといったようなものも見受けられ、社会問題とまでなっている。 私たちは右を向いても左
を向いても、誘惑と惑わしの嵐の中で生きている。 そのような中で多くの人が、その嵐の
中に飲み込まれて苦しんでい る。 そのようなことが防げないものか。 またどうしたら その
嵐の中に巻き込まれずにすむのか。 

聖書に、神が創造された最初の人、アタムとエバが へびにだまされて罪が人類に入ってき
たことが記されている。 神は人を御自身のかたちに創造された。 そして彼らを祝福し

「生めよ。増えよ。地を満たせ。地を従わせよ。海の鳥、空の鳥、地をはう すべての生き物
を支配せよ。」
と仰せられた。(創世記 1:27、28)

そして二人をエデンの園に置き、そこを耕させ、また そこを守らせた。 神である主は人に
命じて仰せられた。

「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べて良い。しかし善悪の知識の木からは取って
食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」 

人にとって たった一つの戒めを神は与えた。 むずかしいことだっただろうか。 他には
たくさん自由に食べることのできる食物があったのである。 神との親しき愛の交わりもあっ
たのである。

 しかしエバはヘビが言った一言「園のどんな木からも食べてはならない、と神は本当に言
われたのですか?」と惑わしの言葉に対して、「それを食べてはならない。それに触れても
いけない。死ぬといけないからだ、と仰せになられました。」と答えてしまった。 

神が言われていない「触れてもいけない」という言葉を付け加え、「死ぬといけないからだ」
という弱い言い方になったのは、エバが神の言われた言葉に対して あやふやだったから
だ。 これがエバの敗因であ る。 

ヘビは「あなたがたは決して死にません。それを食べるその時、目が開け神のようになり善
悪を知るようになることを神は知っておられるのです。」と言った。 もうエバにはヘビの言葉
を疑い、吟味する余地など残されていなかった。 そして善悪の木の実を食べた時、罪が人
に入ってきた。と同時に死も入ってきたのである。 アタムも同様であった。 

今はヘビ(悪魔)が大活躍している時代である。 エバがだまされた敗因をしっかり知って、
私たちは この時代を滅びに向かってではなく、永遠の御国へ向かって生きていきたいもの
だ。 神が言われていないのに、エバは「触れてはならない」と言い、神が言われたことに対
して あやふやだった。 「死ぬといけないから」と もしかしたらという、やはり神の言葉を 
あやふやにし てしまっている。 

この時代、私たちが どんなものにもどんな出来事にも だまさ れないで生きていく為に、ま
ず、神である主、イエス・キリストを受け入れて この神の言葉である聖書を真剣に、時間を
さいて読んでいきたいものだ。 そして きちんと御言葉に触れて、神の基準をもって事を見
ることができる為、神の悟りを求めていきたいものだ。 神の言葉に対して あやふやにな
らないことだ。そうすれば どんな嵐の中でも惑わされず、滅ぶこともないであろう