★新約聖書 第一コリント1:18
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、
神の力です。
★新約聖書 使途6:8
ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行って
いた。
●当時、ステパノは奇跡の伝道、力の伝道を行っていた。 彼の伝道は、「言葉」も盛んに
活用した。 使途6:9,10に「(彼等は)ステパノと議論した。しかし、彼が知恵と御霊によっ
て語っていたので、それに対抗することができなかった」とある。 奇跡は伝道に役立つも
のかもしれないが(キリストを知るということ)、それは決して伝道における最も大切なもの
ではない。
聖書信仰でなくても、奇跡、力、しるしは、様々な宗教で言われている。 また、占い、風
水など、一種の不思議なわざなどは、世の人々をひきつけている。 しかし、決してそれ
らが人を救うことはない。 それどころか、知らず知らずのうちに、ますます迷いの中へと
深く人を導く。 そして見えない悪しきものに(悪霊)に、思考や意志がマインドコントロール
されていく。 典型的な例が、オウム真理教やエホバの証人(ものみの塔)、統一協会で
はないだろうか。
最も大切なのは、人々が自分の意志で、真の真理に向かうことである。 ステパノは、言
葉による宣教に最も力を注いだ。 彼は、まっすぐ真理を語った。 そのため彼は殉教した。
大胆に真理を語ったのは他の弟子達も同様であった。 初代教会の弟子達はみな、大胆
に真理の福音を語ったのである。 それがたとえ死を意味しようと。 クリスチャンである
者は、自分はどうだろうかと問い直し、人々を真理に向かい合わせることが重要であるこ
とを再確認しなければならない時かもしれない。
また、まだ主イエスキリストを受け入れ
ていない者は、世の中に氾濫している偽真理に惑わされることなく、自分の意志で、真理
なるイエスに向かい合ってみて、何が大切かを考えてみてはどうだろうか。
私たちは目に見えるしるしを求めすぎてはいないか。
議論を恐れてはいないか。 最も
大切なのは、言葉ー-福音の言葉である。 それを受け入れる者に、神の力があらわれる
のである。 それは単なる外側の奇跡やしるしなどではなく、神から与えられる内深い悟
りである。
ヨハネ1:1→『初めに、ことばがあった。こてばは神とともにあった。ことばは神であった
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