めんどり聖書研究会

 
めんどり通信/2003年7月11日(2) 金曜日



★旧約聖書 詩篇139:1〜4
★,新約聖書 ヤコブの手紙4:6   ★ルカによる福音書9:24


主よ。 あなたは私を探り私を知っておられます。 あなたこそ私の座るのも、立つのも知っ
ておられ、私の思いを遠くから読み取られます。 あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、
私の道をことごとく知っておられます。 言葉が私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたは
それをことごとく知っておられます。
(実際に語り出さなくても心の中で語っている独り言をも
含むであろう。 (主の御前にへりくだっていきたいものだと思う。 主により頼み、主イエス
様は どのように思われているのだろうか、どう考えておられるのだろうかと主の御心を知ろ
うと、主イエス様に心を向けることは へりくだりの一部である。) 


神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる、と神は、聖書に記しておられる。

一人一人、どう思い考えるだろうか? 主イエス様、この御言葉の深い意味を、あなたの御
心を悟らせて下さい、と祈りつつ考えてもらいたい。


自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失う者はそれ
を救うのです(ルカによる福音書)


●ここの“わたし”は、主イエス・キリスト様のこと。 御言葉の どれでも いいから 一節を祈り
つつ、普段の日々の生活の中で、主にあって考えることを 神は望まれ、喜ばれる。 実際、
大切な日々の生活の中で 私たちは どれほど 心を聖い主イエス、神に向けているだろうが。 
聖書に鏡に写すように キリストのごとくに変えられるとあるが、心が どこを向いているか、
何を考えているかは重要なことである。 何事も 主にあって考え、思い、行動できるよう 主
によりすがる者を変えて下さる。一日の内で、時々、意識的に 主に心を向けることを始めて
いきたいね。



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