めんどり聖書研究会

 
めんどり通信/2003年6月21日 
こういう世の中だからこそ ちょっと立ち止まって自分の深ーい心の中を見てみたらどうでしょうか




★新約聖書 第一ヨハネ4:10 
   私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え
   物としての御子を遣わされました。 ここに愛があるのです。

★新約聖書 ローマ5:8
   しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことに
   より、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

●国語辞典には、宗教とは、神や仏など、人間を越えた絶対的なものを信仰することによ

って、安心・恵みを得ようとすること、その教え、と書いているが「キリスト教は宗教にあら

ず」。 すなわち宗教とは 人が神を探ること。 キリスト教だけは、その意味において宗教

ではない。 真のキリスト教は、人が神を探る事にあるのではなく、神が私たちを愛し、私

たちの罪のために、その子をつかわして、なだめの供え物として下さり、救いを提示して

下さったのである。 ゆえに真のキリスト教は、宗教とは言わず、啓示という。 また、神

の愛と主の御臨在を、実際体験でき、持続することができるのも、真のキリスト教である。 

人の表面ではなく、心の中をみられる神の方が 私たちに救いを提示してくださるもので

ある。



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