めんどり聖書研究会

 
めんどり通信/2003年5月14日 水曜日 


★新約聖書  ヨハネによる福音書 11:7〜10
★旧約聖書 出エジプト記 10:21〜23

●終末の日は、多くのつまずきが起きてくる日であり、光のない人は皆つまずいていく。  
このことは、主イエスの三年半(キリストと公にたてられてから十字架にかかられるまでの
三年半)の時代と同じ。   

当時、多くの人が「主イエス」という つまずきの石につまずいてしまった。 聖書に記され
ているとおりである。  それは、彼等は、光を持っていなかったからだ。  この方を「見る」
ことができたのは、「あなたこそ生ける神の子キリストです」と言ったペテロ達、弟子であった。  
彼等は、光を持っていたから、つまずかなかったし、主を見る(知る)ことができた。  

今の時代は、多くの人がつまずいている時代ではなかろうか。  多くのクリスチャンが、
確かめもしないで、少しばかり、名の知れた人や多勢の意見、解釈に同意している。  
多くの人が、この世の常識や理性的判断をこの「光」の代用品としている。  当時、常識
や聖書知識やこの世の知識に欠けるところのなかったパリサイ人や律法学者が御言葉に
つまずいたように、終末の多くの出来事は、真の光を求めない人々のつまずきとなること
だろう、と思う。  

出エジプト記 10:22 三日間 暗闇だったのは、光なる方を追い出していたからだ。  旧約のそ
の当時、同じエジプトにありながら、他方には光がなく、もう一方には 光があった。 今も同様。 
  
私達は無意識のうちに、光なる方を追い出すことのないよう、日々、主にあって自分の心の奥
底にある思いや行動を点検して、それらが主に喜ばれているかどうかを、主に尋ねていきた
い。  そして、主にあって素直に考えていきたいものだ。   もし、主に喜ばれないところが
あるとわかった時には、素直に悔い改め、きよめて下さるよう求めていきたい。 



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