★新約聖書 ローマ人への手紙 12:1,2
そいうわけですから、兄弟たち。 私は、神のあわれみのゆえにあなたがたにお願いしま
す。 あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさ
い。 それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。 この世と調子をあわせてはいけません。
いや、むしろ、神の御心は何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全で
あるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」
★旧約聖書 箴言 3:5,6
心を尽くして主に拠り頼め。 自分の悟りに頼るな。 あなたの行く所どこにおいても、主
を認めよ。 そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
●ここで使われている「道」は、英語でパス(paths)と訳されています。 パスは大通りではない
細い小道を指し、複数形です。 神が私たちのために選んでおられる道は、小道です。 人生
における冒険の中で、日々神(羊飼い)に、「今日はどんな計画があるのか」を尋ねていく必要
があります。 個人的導きは、神が私たちにくださった賜物です。 しかし、その賜物を味わい、
経験するには、普通の贈り物と同様、包装を解いて中身を取り出し、使わなければなりませ
ん。 みことばは明快です。
★新約聖書 マルコによる福音書 12:30
心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。
●これが、私たちに与えられた生き方です。 以前、私は神をどのように愛していけばいいか
考え込みました。 そして、気づいたことは、神を喜ばせることだということでした。
どうすれば神が喜ばれるのか、それを知るためにも、聖書を読み始めたのです。 そして、
また気づいたことに、私がキリストのごとく変えられることこそ、神が喜ばれることであるという
ことでした。 日々祈っていく中で、変えられながら、主の御心を知らされていきました。 そし
て、神の恵みを体験するごとに、主を愛するというより、愛さざるをえなくなってきたのでした。
主を愛そうと思う者は、主から愛されていることを実感することが大切だと思いました。
★新約聖書 第一ヨハネ 4:10
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、私たちの罪のために、なだめの供
え物をとしての御子を遣わされました。 ここに愛があるのです。
●主の御心とご計画に沿って生きていくために、自分の理解に頼ることなく、日々(必要なら
毎時刻)主のみ前に出て、どのような選択をするべきか尋ねていかねばなりません。 イエス
様は私たちに、その模範をみせてくださいました。 福音書を読めばわかります。 私たちは、
イエス様が十字架で勝利してくださっているから、いつでもおそれなく、神の御前にすすみ出
て、交わり、祈ることができます。
★新約聖書 ヘブル人への手紙 10:19〜22
兄弟たち、私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるの
です。 イエスは、ご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生け
る道を設けてくださったのです。 また、私たちには、神の家をつかさどる、この偉大な
祭司があります。 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心を
きよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に
近づこうではありませんか。
★新約聖書 ヨハネによる福音書 5:19
イエス様は言われました。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。 子は、父がして
おられることを見て行う以外には、自分からは何事も行なうことができません。 父がなさ
ることは何でも、子も同様に行なうのです。
●従うことを、私たちの自由意志で選びさえすれば、神が私たちを導いてくださいます。
そして、従うことには、「何をするのか」だけでなく、「いかにするのか」「どのようにするのか」も
含まれています。 愛しているからこそ、従うことができるのだと思います。
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