めんどり聖書研究会

 
めんどり通信 (6)(7)(8)/ 2002年2月



ヨハネ8;11で、悔い改めと赦しに関する最良の例をイエス様は与えてくださっています。
ここには、姦淫の現行犯で捕らえられ、パリサイ人たちによってイエス様のもとに連れてこられ
た一人の女性について書かれています。 モーセの律法では、彼女の罪は石打の処刑に値
します。彼らは、、イエス様が彼女をどのように裁くかを試そうとしました。  シナイ山で神が、
モーセに、あかしの板2枚、すなわち、神の指で書かれた石の板を授けられましたが(出エジ
プト記31:18)
、その神が、ご自分であることを示しておられたのですが、パリサイ人にしつこ
く質問され続けます。 すると、イエス様は、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に
石を投げつけるがよい。」
と答えられました。

主が「罪のない者から最初に石を投げなさい。」と言われると、彼らは全員その場を去ってい
きました。誰もこの女性を訴えるために残りませんでした。 自分自身が罪を犯し、赦される
必要があるときに、他人の罪を早まって裁いてはいけないということだと思いました。 イエス
様は、マタイ7:1−5でも「さばいてはいけません。 さばかれないためです。 あなたがたが
さばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが、量るとおりに、あなたがたも量られる
からです。」

私たちは、イエス様は私の罪の身代わりとなって死んでくださり、私を生かすために、復活して
下さったと信じ、主を受け入れましたが(宝石の原石とされた)、磨かれている途上の者なの
で、完璧な者ではありません。 ですから同じくマタイ7章で、イエス様は、自分自身の目に
まず取り除かれるべき梁がぶらさがっているのに、他人の目のちりを気にしてはいけない
とも言われています。 

さて、それからイエス様は、その女性と語り、赦し「行きなさい。 今からは決して罪を犯して
はいけません。」
と言われました。 主の「今からは決して罪を犯してはなりません。」との御
言葉の中には、私たちが、罪を赦して頂いたあとでも、人は、まだまだ弱さがあるゆえに、
失敗や過ちや罪を犯してしまうことがあるから、継続的に赦していただくよう、神のあわれみ
にすがる必要があるんだよという、主の御思いも込められていると、私は感じました。 主の
御言葉に目と心を留め、神から見られて何が罪なのかを知って、主に頼っていく生き方こそ、
神によって生まれた者の生き方です。私たちは、いつも自分自身を吟味し続け、義の道を歩
み続けたいものですね。(第一ヨハネ5:18)



めんどり聖書研究会