聖書にはクリスチャンであろうがなかろうが、どんな人でも、死後、神の前に立つ、すなわち裁判、裁きの場に立つことを述べている。

  「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように(ヘブル9:27)」 

その裁きは、神の基準によって、神がなさるのである。 決して人が見て、あの人は、良いことをした、あの人は私よりは悪い、とか人の見解などは全く入る余地はない。 神が地上の人を見られたとき、神の見解は「 彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている。善を行なう者はいない。ひとりもいない。(詩篇 14:3 )」である。 
罪人であるすべての人は、そのままの状態では、神の前に誰一人、無罪になる者はいない。
 しかし、聖書は、人が死後の裁きの座で、無罪になる方法を書いている。


★「 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。(コロサイ 1:20)」

★「 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 (ローマ 10:9)」


★「 ・・・イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、(黙示録 1:5)」

イエス・キリストが十字架の上で、私たちの罪をその身に負って死んでくださり、3日目によみがえられて、今も我々人を救うために働いてくださっているからこそ、主イエス・キリストを求める者は、罪を離れ、義のために生きることができるのである。 また裁きの座では、キリストの血のゆえに、無罪としてくださるばかりか、主が用意してくださっている、真の天の御国に入ることができるのである。 

人の死後の裁きは必ずある! それは例外のないことである。 だからこそこの地上で体の命があるうちに裁きの前、裁判の前の備えをしておかなければならない。  そうでないと「まことに、あなたに告げます。あなたは最後の一コドラントを支払うまでは、そこから出ては来られません。(マタイ5:26)」という御言葉通りになってしまうのである。  だからこそ、主イエス・キリストを真に信じることが重要である。 地獄が作り話でもなく本当にあることを聖霊によって知ったから、このHPが少しでも役立つようにと願い祈っている。

2005年5月