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2017年6月4日「信仰」についての思考

 
著者の場合。 著者が20年以上も前、教会の牧師たち数名でイスラエルへ行ったとき、「信
仰」が足りないと言われ、自分もそう考えたことがあった。 著者は、幼い時から乗り物酔いを
していた。 時には、新幹線でも酔ったことがある。 バスはてき面だった。 それで、酔い止め
薬を持って行こうとしたとき、牧師から「・・・さんも乗り物酔いしていたが、信仰をもって薬を持
たずに行ったら酔わなかった。薬は持っていかなくていい。」と言われた。 それで、持たずに
行くと、イスラエル内をバスで移動するたび、吐き気を催した。 しかし、必死で心の中で主の
御名を呼んだ。 信仰を下さいと心の中で必死に求めた。 それでも 吐き気はおさまらず、気
を逸らすために、手の甲をつねったりして我慢したのを覚えている。 今思うに、当時、著者の
「信仰」が足りなかったとは思えない。 あれから20年以上経ったが、相変わらず、乗り物酔い
はいやされていない。 それもそのはず、乗り物酔いについてのいやしのことばは、著者に与
えられていたものではなかったからだ。 
 
 



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