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2016年8月21日キリストと深くつながり、「キリストと自分」が確実に「一対一の関係」となった上で「主のみこころ」を知ることについて

最近、主の働きについて、考えさせられることがあった。 約50年ぶりの小学校の同窓会に参
加したときのことである。 一人の同級生(男性)が、著者のところに来て、約24、5年前、著者
に聖書を買わされたと言った。 責める口調ではなく、話の種として言ってきた感じではあっ
た。 すでに この同級生夫婦は離婚していたからだ。 確かに、当時、戸別訪問伝道で彼の
家に行ったことを覚えている。 彼の奥さんも、著者が中学校の時の同級生で話しやすかった
ことも覚えている。 そのとき、彼は仕事で留守だった。 彼女に福音を伝え、聖書を読んでみ
ることを薦めた。 それで、彼女は聖書を買った。 決して、押し付けておらず、強制的でもな
かったことも覚えている。 
 
当時、所属していた教会では、口語訳聖書を使っていたが、新共同訳聖書を取り入れ、伝道
の時、薦めるようにとの牧師の導きがあった。 著者は、数十冊受け持った。 結構な値段な
ので、読んでみると言う人には聖書を買ってもらった。 何冊かは導きがあったので、著者が
買って差し上げた。 本当に、一人でも多くの人が救われてほしいと思っていた。 だから、当
時は、教会の礼拝と集会に参加、一般伝道、戸別訪問伝道、トラクト配布、家庭集会を開く、
いろいろな所であった聖会に参加、祈祷会、教役者大会に参加・・・など忙しく主のために働い
ていた。 牧師の導きに従っていた。
 
その後、約20年前、教会を出てから、「キリストと自分」、「主なる神と自分」の「一対一の関
係」、「一対一の交わり」を確固たるものとなるために取り組みだし、砕かれ整えられて成長し
てきた。 そうするうちに、自分の心の奥底にあるもの気づくようになってきた。 以前の教会
に所属していた時代、著者は、牧師の顔色を見ていたところがあった。 主の働きをするよう
になればなるほど、牧師の顔色を窺(うかが)っていた。 聖書を買ってもらうなり、差し上げる
なりして、新共同訳聖書が、自分の手元から離れて行くことは、一人でも多くの人が神のことば
に触れることであるので、牧師にも報告しやすい。 もし、その中から救われる者が起こされる
なら、それは大きな働きとなり、尚更、牧師に報告しやすいなどという不純な「思い」があった。
 
ただ、そのような不純な「思い」は、大きい「思い」ではなく、ほんの少しの「思い」であり、主の
働きの方に目が向けられていたので、いつのまにか著者の心の奥に沈殿していった。 この
不純な「思い」については、何年も前に、主から教えられていた。 人が、どのような言葉を語
ろうとも、その人の心の奥底にあるものが、相手に伝わるということも教えられていたが、今
回、改めてもっと深みを教えられたと思う。 そして、主が、著者の多くの失敗、愚かさ、弱さな
どを許してくださっていたから今日に至ることができたのだと、つくづく思う。 主を褒め称える。 



めんどり通信/2016年8月21日号へ


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