めんどり聖書研究会 TOPへ > 証しによるプロフィール一覧

2015年3月8日感覚についての思考:使徒行伝16章の占いの霊につかれた女の箇所を参考

「著者は、救われる前、自分の先行き、将来の見通しを知りたくて、多くの占い師に占ってもらっ
た。 最初は、手相を少し占ってもらうだけだったが、一つ一つの占ってもらった内容を信じ切
れず、次々と違う占い師に走った。 そうするうちに、四柱推命など占いの本を買ってきて読ん
だり、霊能者のところへ出かけて行って占ってもらったりと主が忌み嫌われることばかり行って
いた愚かな者だった。 挙句の果て、先祖供養にのめり込み、いろいろな種類の先祖供養を
するためお金も時間もかけた。 いつの間にか悪しき霊の支配にどっぷり入ってしまっていた
と思う。 
 
その頃を思い出してみると、表面は楽しいこと笑えることがあったとしても、心の奥は「むなし
い」の一言だった。 当時、良いこと悪いことに関係なく、「第六感」という霊の感覚が割と強
かったように思う。 しかし、現実は自分にとって、失望とあせりが入り混じった不安な方向へと
向かっていたのを覚えている。 あるとき、そんな著者を主の方があわれんでくださり、救ってく
ださった。 
 
あれほど傾いていた偶像礼拝関係に対して、当時は、鳥肌が立つくらい拒否の思いと感情が
起きてきた。 代わりに「愛」とはどのようなものかを口で説明もできず、知性でもわかっていな
かったと思うが、主イエス・キリストに対する愛が、心の底にあるのを感じるようになった。 心
から「主に喜ばれる者になりたい」という願いが離れなくなった。 振り返ってみると、著者の場
合は、ちょうどその頃、「第六感」がどこかに隠されたのかと思うほど、いわば「第六感」「勘」
働かなくなっていた。 だから、とにかく、主に祈り尋ねていくことをしていったし、今もなお続け
ている。
 
その後、長い年月、主の方が忍耐してくださり、根気よく著者を訓練してくださった。 主から与
えられた訓練試練によって、「信仰」「霊」が成長していき、霊的な賜物からではなくても、必
要な時には「霊的感覚」を働かせてくださるようになってきたと思う。 この「霊的感覚」は明ら
かに、主から与えられたから働くことができる。 著者の内に、はじめから備わっていたもので
はない。 最近、思うのに「第六感」がなくなったのではないということ。 日常生活の中で、「第
六感」は働いていることがあるということ。 ただし、主が定められた道をまっすぐに進んで行く
のに、差支えのない「感覚」はそのままでいいということ。 しかし、人が持っている「感覚」の中
には、主に清め(聖め)ていただかなければならないものがあるということである。」


めんどり通信/2015年3月8日号へ


めんどり聖書研究会 TOPへ > 証しによるプロフィール一覧