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2011年2月27日<身動きできないほどの聖霊の流れの中に乗る>

筆者もキリストに出会う前は、そのような中の一人であった。 だから、他のもの、物質や
社会生活の中で高い地位につくことなどを目指した。 ところが渇きは満たされず、挙げ句の果て、
知らなかったとはいえ、神が忌み嫌われる偶像礼拝に熱心な者になってしまった。

そんな者が、ただただ一方的な神のあわれみで救われた。 初めて教会に連れて行っても
らったとき、牧師が何を話されたのか、一言も覚えていない。 ただとめどなく涙が出て止ま
らなかったことだけは、はっきり覚えている。 聖霊が著者の心の奥に触れてくださったのだ。 

教会で牧師訓練を受けているとき、なかなか牧師の思う通りにならなかったようで、牧師から
は「一つ一つベニーヒンのもの(性質など)と替えてもらうようなつもりで、『聖霊様おはよう
ございます』の本を何度も何度も読みなさい。」と言われた。 その通り従ったのだが、
一向に変わらなかった。 何度も本に鉛筆で線を引きながら読んでも心の中に入って来なかった。 

そんなある日、信者さんたちと交わりをしていたとき、著者が教会から借りて乗っていた車から
オイルが流れ出ていると、知らされ駐車場に駆けつけた。 数日前に車の点検をして異常がな
く、前日には教会の一人の牧師が乗っても異常がなかった。 見事に車からオイルが大量に
流れ出ていた。 オイルの中に車があるという光景だった。 側にいた信者さんたちは、「聖霊
がこの人から去って行った」と言いたげな表情をして引いていた。 無理もない。 牧師から、
ベニーヒンを見習え、彼のようになれ、と言われても、なれなくて落ち込むばかりで牧師からも
役立たずと見放され気味だったのだから。 

その時のことはずっと気になっていて主に尋ね祈っていた。 15年も前のことである。 
そして最近、その時、聖霊が去って行ったのではなく、その時すでに聖霊の流れに乗らせていただい
ていたことを教えられた。 その聖霊の流れに乗らせていただいていたからこそ、今日がある
ものと痛感し、主に感謝した。 当時その後、その教会からは追い出された。 しかしそのよう
な出来事は、著者の自我が砕かれ、肉が切り取られることにおいて大いに益になった。


めんどり通信/2011年2月27日号へ



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